■「育てない」から上手くいく -講談社-
大事なことは、実際に体に触れて安心させることです。そして感情的に寄り添ってあげることです。それが「手当て」だと思います
自分の努力もあったかもしれませんが、
意識できないところで運がよかったり、
見えないところで人様の手助けや導きがあったからこそ成功できたことは否定できないでしょう。
自分以外の力にすがることなしに、
人は生きることができません。
人間は本当のところ、
誰も自立などしていません。
でも、その自覚によって「おかげさま」
という感謝の気持ちが生まれるのかもしれません。
by. 桜井章一氏
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子どもは、たとえるならば絵の具みたいな存在です。
本来個性に合ったそれぞれの色がそなわっています。
それを無視して、
親の好みの色や世間の流行の色にしてやろうとしても、
色が複雑に混じってぐちゃぐちゃになってしまいます。
それにまだ塗りたくもないのに、
無理に絞り出せば、
チューブの形が潰れてしまったり、
漏れた絵の具があちこちについて周囲を汚してしまいます。
教育はこういうことを往々にして子どもにします。
by. 桜井章一氏
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いいものを与えているつもりがかえって子どもをダメにしていることが多いと思います。
責任は家庭でも会社でもことあるごとに強調されます。
しかし、責任という言葉があちこちで使われるのは、
それだけ責任という言葉が軽く使われているという証拠だと思います。
なぜなら責任とは、
自分の行為を知るという自覚なくして感じられないものだからです。
by. 桜井章一氏
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自分の行ったことの意味を知り、
その中で何が善くて、
何が悪かったのかを理解していく。
そのプロセスこそが重要です。
責任感は与えるものではなく、
芽生えるものなのです。
責任感に対するプレッシャーは、
「責任をとれなかったらどうしよう」
という怯えになり、
その思いは、ごまかし、
嘘をはびこらせます。
by. 桜井章一氏
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自己責任という言葉で責められると、
そんな嘘やごまかしがいっぱい出てくるものです。
「これは自己責任だぞ」
といって相手を責める人は
「悪いのは自分ではない。あいつの責任だ」
と、自分の行いを振り返らないで済むように責任という言葉を他人の攻撃に用いるのです。
子どもが何かしようとするなら、
まず自由にさせてみる。
自由に振る舞っていく中で最初に自分の色、
つまり特性や傾向を知り、
それに対して他人との関係の中で不足のないよう調整していくことなのです。
by. 桜井章一氏
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すなわち責任感は、
頭に知識として与えるのでなく、
自らの行動を他人との関係の中で自覚していくことで自然と生まれてくるものなのです。
親が「大丈夫?」と繰り返し尋ねたり、
大げさに扱うと、
本当は五しか痛くないものが十に感じたりするものです。
親の不安が子どもに伝わり、
それが子どもの痛みを増幅させるのです。
親の不安をそのまま伝えることは、
子どもへの愛や思いやり、
優しさではありません。
by. 桜井章一氏
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そんな姿勢は往々にして子どもの等身大の姿を見失うきっかけになるものです。
子どもに何かあっても、
どこか冷静な客観性というものを持っていないといけません。
大事なことは、
実際に体に触れて安心させることです。
そして感情的に寄り添ってあげることです。
それが「手当て」だと思います。
by. 桜井章一氏
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ケガをした本人がびっくりしているわけですから、
落ち着かせ、安心させ、
等身大の痛みと付き合えるようにしてあげるのです。
そんなとき、親は自分の不安で子どもの痛みを増幅させない配慮が必要です。
あくまでもその痛みと等身大に向き合って、
静かに心の手を当ててあげることが大事なのです。
「できた」と思えてしまうことの怖さについては先述しましたが、
社会が認める価値観通りのことができたところで、
それは本当に自分の生き方にとって価値あることなのか?
という疑いは大事だと思います。
by. 桜井章一氏
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なぜなら「やればできる」という励ましは、
子どもの本当の気持ちに目隠しをする働きがあるからです。
いまの世の中で「できる」とは、
突き詰めればお金儲けや社会的な成功につながる価値を実現できることです。
駆け引きが上手いほど、
仕事ができるビジネスマンになる。
しかし、駆け引きというのはズルさが必ず伴うものです。
by. 桜井章一氏
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「おまえはやればできるのだからがんばれ」
親が励ましのつもりで言っても、それは、
「はやく大人になってズルができるようになれ」
と言うのと変わらないかもしれません。
やってできることが果たして本当に善いことなのか。
期待にかなわなければ失望し、
願望通りに育っても、
「もっと、もっと」を要求するわけです。
世の中を見渡せば、
親の欲の押し付けを教育といい、
しつけと称していることが多いのではないかと思います。
by. 桜井章一氏
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親の勝手な欲であれこれいじくられて、
どんな人間になるかを一度想像してみるといいと思います。
汚いものを注ぎ込んでどんな人間になるかということです。
では、大事なこととは何なのでしょうか。
それは、簡単に言えば生きとし生けるものの宿命というものだと思います。
by. 桜井章一氏
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まず食べて命を維持する。
そこが、命をつなぐ出発点でもあります。
その原点に戻って人生を見つめていくと、
人間の生はシンプルなものになっていくものです。
しかし、お腹がそこそこ充たされると、
次はもっと美味しいものを食べたくなったり、
ほかのさまざまな欲求が芽生えてきます。
そこからいろいろな悩みや葛藤が生まれる。
by. 桜井章一氏
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そうやって欲望が加算されていくと、
人はどんどん本来の生命のあり方から遠のいていきます。
生きるとは命が連続していくことです。
このつながっている感覚が生き物である人間にとって、
きわめて大事だと思います。
これがぷつんと切れ、
誰ともつながりを感じられないと人は孤立した感覚に陥ったり、
勝手な妄想の世界にどんどん入っていってしまったりするからです。
by. 桜井章一氏
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生きとし生けるものの宿命としてのつながり。
つまり、命のつながりの感覚、
そのことを肌で伝えられれば、
親としての重要な役割は果たせたと言っていいと思います。
親が子どもに気に入られようと行動するのは不自然です。
「お前のことは誰よりもよく理解しているよ」。
なんてことを態度で示す親もけっこういるようですが、
それはあくまで「理解のある親」
を演じているに過ぎないこともあります。
それならまだ子どもから嫌われたほうがましかもしれません。
もっとも子どもはそんな親の態度を敏感に察知し見破っていたりするものです。
by. 桜井章一氏
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