■桜井章一の折れない心のつくり方 -ぱる出版-
私は人が人らしく楽しく生きるには「遊び」の感覚がとても大切だとよくいうのだが、この「遊び」こそ、不合理な精神から生まれるものである
ある種の鈍感さは、
若さが持つ強さであり、
特権でもある。
その強さがエネルギッシュに行動を広げ、
未知の分野を拓いていったりするのだから。
たとえ心が大きく揺れることはあっても、
冷静に行動をすれば、
辛い状態やトラブルから早く抜けだせるわけだ。
いずれにせよ、年齢が高く経験値があるほど心は折れにくいというのは、
ある種の幻想である。
by. 桜井章一氏
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心が折れる要因や背景というのはそれだけ複雑であり、
足し算、引き算のような単純な算数のようにはいかないのだ。
どんな牌が最初に配られるかということからして、
不合理な運のようなものが支配している。
しかも、その運の流れは一瞬、一瞬で目まぐるしく変わっていく。
瞬間的な読みや直観をはさみながら、
形成は複雑に変化し続け、
最初に勝敗がきまる。
by. 桜井章一氏
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このように麻雀は合理的に割り切れない要素で満ちている。
人生もそれと似たようなところがある。
計算通りにいく人生などこの世にひとつとしてないのだ。
経済的な価値観を至上のものとするこの社会で生きていると、
どうしても発想が計算づくで合理的なものになっていく。
by. 桜井章一氏
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合理主義に侵食された頭と感性は、
ムダや回り道を嫌う。
この例のようにビジネスや商売で合理的な発想が行き過ぎると、
想像もしない不合理なことは十分に起こりうるのである。
問題はそんな合理的な思考や発想がふだんの生活や人間関係にまで影響を与えてしまうことなのだ。
大量生産、大量消費で回さなくてはいけないこの社会のシステムを支える思想は、
過剰なほどの効率的合理主義である。
by. 桜井章一氏
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モノが大切にされないことは生活が雑になることを意味し、
その感覚は人間関係にまで及んでいく。
昨今たいして意味もなく簡単に人の命を奪う事件がよく起こるが、
その背景にはモノを大切にされない社会の風潮が間違いなくあると思う。
人の生活や人間関係といったものは、
合理的に割り切れない要素がたくさんあって、
それゆえに楽しかったり、
豊かな味わいがあったりする。
私は人が人らしく楽しく生きるには
「遊び」の感覚がとても大切だとよくいうのだが、
この「遊び」こそ、
不合理な精神から生まれるものである。
by. 桜井章一氏
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合理主義に染まった生き方をしている人は、
生き方にしなやかさがなくなり、
人生の伸びしろが短くなる。
不合理なものに遊びや余裕を見出す。
そんな感覚を磨いている人は生き方にしなやかなバネのようなものがあり、
多少のトラブルに見舞われても柔らかく対応できるのである。
クレーマーのような攻撃的な人たちというのは、
自分のちょっとした権利が傷つけられたり、
失ったりしそうになると、
おそろしく怒るのである。
by. 桜井章一氏
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自分の権利を主張することにおいてとりあえず理は通っているかもしれないが、
問題は相手の立場を一切考慮せず、
必要以上に権利を訴えることにある。
そして子どもたちを育てるのは何も一人ひとりの親だけでなく、
とくに今のような少子高齢化の時代においては社会全体で育てていくという感覚がとても大切だと思うのだが、
そうした認識が保育園の騒音被害を訴える人たちにはない。
この先生のように、
自分の小さな権利をたてに過度な主張をし、
他人をやたら攻撃する人というのは、
自分自身がおかしくて迷惑な存在であることを基本自覚していない。
そしてこういう人たちが攻撃の矛先を向けるのは、
自分より明らかに弱い立場にある人である。
by. 桜井章一氏
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結局、このような人は自分に自信がない。
人から少しでも”雑な扱い”を受けたりすると、
過剰な反応をしてしまう。
それは基本的に自己肯定感が低いからだ。
結局は人間がひどく未熟なのだ。
面倒くさいことだが、
もし不必要に人から攻撃されたら、
おとなしくしているのは得策ではない。
by. 桜井章一氏
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こういうタイプはこちらがおとなしくすればするほど、
自分が正しいと錯覚し、
図に乗って攻撃を強めてくるからだ。
全体をバランスよく眺めた上であなたはこういっているが、
ここがおかしいんじゃないですか?
と理をもって相手にびしっと主張したほうがいい。
おかしな攻撃をしてくる人は必ず折れやすいものをどこかに抱えている。
すぐにキレて攻撃してくるのは、
じつはそれも逆の意味で心が折れているからなのだ。
by. 桜井章一氏
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そこをきちんと見据えて冷静に対処すれば、
そんなにおかしなことにはならないはずだ。
道場生のなかにも何かわからないことがあるとすぐにスマホを取り出し、
情報を検索するものがいる。
その道場生を見ていると、
さまざまなことに対し気づかないことが増えている。
スマホと一体化したようなスマホ人間になると、
このように周りに気遣いができなくなるという弊害が起きてくるのだろう。
by. 桜井章一氏
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現実に起こるさまざまな問題は、
たいていそんな簡単に答えを出してくれない。
だが、答えが出ないことは、
必ずしも中途半端な宙ぶらりんな状態というわけではない。
黒と白が混じったグレーな状態を受け入れるというのも、
またひとつの答えといえば答えなのだ。
答えがないという「答え」も世の中にはあるのである。
by. 桜井章一氏
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答えはいつもはっきりとした輪郭を持っているわけではない。
ある答えが見つかったと思っても、
それを反対側から見ればまた別の色合いを持った答えが見えてくることもある。
つまり、答えは必ずしもひとつだけではない。
その都度、状況の変化によって、
答えもまた変わっていくのが当たり前なのだ。
by. 桜井章一氏
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簡単にひとつの答えを性急に求めようとする。
その姿勢が、そもそもの間違いなのである。
文明の発達が仮に人間の進歩だとすれば、
具体的なものごとを抽象化し、高度化し、
複雑化させることは高尚でよいものになるのだろう。
もちろん、それが貧困や飢餓から人類を救い、
ある部分で幸福をもたらしたことは事実であるが、
いまや人間にとって逆に何が幸福なのかを見えなくさせるほど進歩しすぎたのではないだろうか。
私はこれからの人間にとっての新しい入り口は、
前にひたすら進むことではなく、
後にどんどんさかのぼることで見つけられるものだと思っている。
by. 桜井章一氏
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いまの人が簡単に心を折ってしまうほど、
いつも不安定で揺れているのは、
ものごとを複雑に考えれば考えるほどいいと思っているせいでもある。
複雑なものをより複雑にするのではなく、
できるだけシンプルにする。
本当に必要なものと不必要なものをしっかり見分け、
いらないものは思い切って見切る。
部分にとらわれず全体を見つめる。
人と比べてしまう余計な見栄を捨てる……。
by. 桜井章一氏
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