■桜井章一の折れない心のつくり方 -ぱる出版-
だが、こうしようという意思の合間、合間に風を入れることはできる。心は思いを深めるほど、重たくなる。心の底に皆何かしらの不安を抱えている
「ちょっとここはキツいけど、なんとかなるだろう……」
そう思いながら、吹いてくる風に身をまかす。
そうしているうちに別の方向から違う風が吹いてきてそちらに流される。
風まかせな生き方をしていると、
少しくらい嫌なことがあっても軽く流せる。
たいていのことはたいしたことないと思えるものだ。
by. 桜井章一氏
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もちろん、人生のすべてを風に任せることはできない。
だが、こうしようという意思の合間、
合間に風を入れることはできる。
自分に余裕がないなと感じるときは、
「~であるべき」「~すべき」
と思っていることが、
本当にそうなのかあらためて考えてみたらどうだろう。
そう感じて、
「~であるべき」「~すべき」
という思考をできるだけ外していけば、
やがて風が入ってくるだろう。
by. 桜井章一氏
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そんな風がいつも気持ちよく吹くようになれば、
生き方はおのずと変わってくるはずだ。
「風通しのいい人生」とは、
そういうことだと思う。
「いい人」というのは、
善人というわけではなく、
誰からも思われたいと考えて行動する人である。
「いい人」に限らず、
いまの人は総じて、
「いいもの」だけを見ようとしたり、
聞いたりしようとする傾向が強いと思い。
by. 桜井章一氏
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「悪いもの」に対しては、
目をふさぎ、耳をふさぐのだ。
しかし、そんな姿勢でいつもいると、
悪いものに対する免疫がつかず、
批判や悪口などの悪意が自分に向けられたら過敏に反応してしまう。
つまり、人は人の悪口がとても好きな生き物だということなのだろう。
人の悪口や批判に過敏にならないようにするには、
まず自分も含めてどんな人でも悪い部分があると認めることである。
by. 桜井章一氏
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「いいもの」が半分あれば、
片方に「悪いもの」
が半分あると思うことだ。
「いいもの」ばかりを自分のなかに入れようとせず、
「悪いもの」もいったんは受けとめた上で流していくようにするといい。
相手が口にする批判や悪口は、
あなたの一部分を指していっているに過ぎないのであって、
それはあなたという人間をつくっている、
何百とあるような要素の一つにすぎないということだ。
悪意が自分に向けられたとき、
人はつい過大に受け取ってしまうものだが、
それは自分で自分の首をしめている行為でしかないのだ。
by. 桜井章一氏
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悪く誤解されることをむしろ楽しむような余裕すらあったりする。
それは、自分の考え方や行動に対して揺るぎない自信があるからだ。
ただ、他人からの攻撃に弱い人がこれだけ増えているのは、
自分に対して自信がない人がそれだけ多いことの表れでもあるといえる。
つまり、批判や悪口をさほど気にせず生きていけるようになるには、
まず自分に対する自信をどうやってつければいいのか、
そのあたりからも考えていく必要があると思う。
by. 桜井章一氏
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急激な変化によって社会は急速に複雑化し、
そこに生きる人間の精神も当然その影響を受けることになる。
すさまじい変化を起こし続ける環境で生きていれば、
心もその変化によって激しく揺さぶられ、
疲労骨折のようなものを起こしているといえないだろうか。
それほどの変化は人間の生理限界をどこか超えているに違いないからだ。
その意味で、多くの現代人の心は何かのはずみで折れる以前にすでに折れてしまっている。
by. 桜井章一氏
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つまり心の土台づくりに大きく影響する周りの環境に対して、
どういうスタンスを持つべきか?
どのような間合いを置けばよいのか?
この時代、そんなことを考えながら生きていく必要があると思う。
一般にモノは重くなるほど安定を増す。
by. 桜井章一氏
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そんな物理の法則に反して、
軽くなるほど安定するものがある。
それは心だ。
心は思いを深めるほど、重たくなる。
ひとつのことに思いを深めすぎると、
強い思い込みになる。
そうやって思い込んだものはひとつひとつ固定観念となって心のなかに沈んでいく。
by. 桜井章一氏
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心の底に皆何かしらの不安を抱えている。
そんな不安を覆い隠し、
固定させてくれるのが、
じつは思い込みであり、
固定観念の役割でもあるのだ。
心のなかの不安定なものを押さえつけるのに、
固定観念を抱くことはとても簡単で楽な方法なのである。
思い込みや固定観念のなかでとくに問題を起こしがちなのは、
「いいこと病」というやつだ。
by. 桜井章一氏
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こう考え、こう行動することが人として正しい。
それが社会をよくする。
あることで強くそう思い込んでいる人は、
それを周囲に押しつけて衝突をよく起こしたりする。
その人は「悪人が一緒になって悪事を働くときのほうが、善人が共同作業をするときより、よくまとまるんだと思います」
と語っていたが、
まさにその通りだと思える。
善行をする人は「いいこと病」
に陥りやすく、
それぞれの思い込みが強いから微妙なところで意見が食い違ってしまうのだろう。
by. 桜井章一氏
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考えに考えたすえに出てくるような思いは間違いなく重い。
そんな重たい思いは、
生き方を制約する大きなとらわれになるから用心したほうがいい。
思いを軽く持つ。
それはたとえば、
「ふと思う」という感じのものだ。
by. 桜井章一氏
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そんな思いは瞬間に現れ、
またいつの間にか消えていくので後に残らない。
その人らしさも出るし、
心の澱にならずにすむ。
軽みのある思いを連ねていくように生きることができれば、
それは理想かもしれない。
しかし、私からみれば、
それは考える時間がなにも減ったわけではなく、
本質を見抜く力が弱くなっただけをいう気がする。
by. 桜井章一氏
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だが、どの人も相変わらず、
いろいろなことに気を散らせながらものを考えていると私は思う。
しかし、私は「深い人間」より、
「浅い人間」になったほうがいいと思っている。
私がいう「浅い人」は反対に、
目に見えないしっかりとした根っこを持っている人のことを指すのである。
私のなかには、頭をひねって考え込んだり、
思考を掘り下げて何かをつかむというベクトルがほとんど存在しない。
考えを重ねるのでなく、
むしろ、ふと思ったり、
何かを”射抜く”という感覚から言葉が出てくるのだ。
by. 桜井章一氏
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