■桜井章一の折れない心のつくり方 -ぱる出版-
ニュートラルな場所とは、一切の感情を超えたところにある。むしろさまざまな種類の、あらゆる感情になるうる種子がある場所といってもいいかもしれない
ファーストクラスの乗客はエコノミークラスの乗客を見て優越感を感じ、
そのことで態度が高慢になったり自分勝手な行動を起こしやすい。
エコノミークラスの乗客はファーストクラスの乗客を見て、
劣等感を覚え、
自分や社会に対する不満や怒りの気分を強める。
経済の急速なグローバル化とともに、
経済格差が著しく広がっている状況というのは、
ファーストクラスとエコノミークラスが両方ある飛行機と同じで、
多くの問題が生まれる条件を抱えているといっていいだろう。
「持てるもの」と「持たざるもの」。
by. 桜井章一氏
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人間をこの両者のどちらかに分けてしまうのは、
資本主義社会の宿命といえるかもしれないが、
世界の上位60人ほどの大金持ちの資産合計が、
それ以外の100数億人の人間が持っている資産の総額に匹敵するといわれているいまの状況は、
ちょっと常軌を逸している。
持っているものが多いほど優位に立ち、
人から評価される社会ゆえに、
「持てるもの」と「持たざるもの」
との間にはどうしても不穏な感情や欲望が起こってしまう。
それはとても不幸なことだ。
ひとつは、「人は人、自分は自分」
というスタンスで、
他人と自分をあまり比べないことだ。
by. 桜井章一氏
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前にもいったが、
自分にとって本当に大切なものを見つけられた人は他人と自分を比べなくてすむ。
もうひとつは、たくさん持つことが必ずしも幸福を保証するものではないという認識を持つことだろう。
世界一貧しい大統領として知られる、
ウルグアイのムヒカ元大統領は、
「貧しい人とは、無限の欲を持ち、いつまでも満たされない人のことだ」
という名言を吐いているが、
こういう考え方はとても大事だと思う。
たいしてものを持っていなくても楽しいという生き方を探っていくことが、
いまほど求められる時代はないのかもしれない。
by. 桜井章一氏
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私は反対に、
老いによって自分がこれまでできたことが、
いろいろできなくなってきていることを楽しんだりしている。
老いを自然なものとしてとられているので、
そうやって変化していくことに新鮮なものを感じるのだ。
私にとって老いは自然現象であり、
悪いとか、いいとかを超えたものだからだ。
もちろん、老いからくる衰えをポジティブに受け止め、
それによって心身ともに老いるのを少しでも防ごうなどとはつゆも思わない。
by. 桜井章一氏
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科学技術のリードによって進歩してきたこの文明社会において、
理性や知性というものには最上の価値が置かれているといってもいいだろう。
そうであるからこそ、
感情は理性より一段低く見られているわけだ。
知性を磨けとはいわれるが、
感情を磨けとはいわない。
感情をできるだけ抑えた上で理性的に考え、
行動するのが知性的な人間の振る舞いとされるのである。
by. 桜井章一氏
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しかし、感情を理性より下にあるものと軽んじていると、
とんでもない目にあう。
感情の働きは本能に近いところから起こるものなので、
理性の活動より、
非常に強いエネルギーを伴う。
それゆえに理性で感情をコントロールしようとしても、
本来コントロールしきれるものではないのだ。
理性によって感情を奴隷のように扱っていると、
抑えつけられた感情は必ず反乱をおこす。
by. 桜井章一氏
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感情はむやみに押さえつけてはいけないのだ。
理性への信仰が強すぎる現代人は、
その分感情の扱い方が下手になっている。
扱い方が上手くないからこそ、
感情に振り回される事態がしばしば起きるのだ。
だが本当に感情の扱いに馴れた人は、
たいてい感情が生き生きとしている。
by. 桜井章一氏
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感情によどみがなく、
いつもきれいに流れているからだ。
こういう人はどちらかというと陽気であり、
接していて気持ちがいい。
心が折れやすい人と同じで、
こういう人(感情の起伏が大きい)はどこかに感情が偏っていたり、
滞っていたりする可能性がある。
感情がいつもきれいに流れているようにするには、
自分の感情に対して素直になることだ。
by. 桜井章一氏
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プラスの感情でもマイナスの感情でも、
内側に押さえ込まず、
なるべく外に向かって発散させると感情の流れはよくなる。
感情の流れが悪くなり、
整理できなくなると、
心のなかはゴミがたまったようになる。
ゴミがたまるほど、
辛いことや悩みがあると必要以上にそれを膨らませてしまいかねない。
つまり心が折れやすくなるのだ。
感情はためずにきれいに流す。
by. 桜井章一氏
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そんな姿勢が感情に振り回されず、
心を生き生きとさせるコツなのだ。
集中力が感情に簡単にもっていかれるようでは、
勝負に勝つことはできないのだ。
私は真剣勝負の最中、
いつも自分をニュートラルな場所に置いていたような気がする。
ニュートラルな場所とは、
一切の感情を超えたところにある。
by. 桜井章一氏
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喜びと悲しみ、希望と絶望、
自信と不安、不安と確信……
さまざまな感情を仮に縦軸と横軸のある座標空間で表現するとしたら、
プラスでもマイナスでもないゼロになるポイントがある。
このゼロのポイントこそ、
ニュートラルな場所なのだ。
ゼロといっても、
いかなる感情も生まれてこない空のような場所というわけではない。
むしろさまざまな種類の、
あらゆる感情になるうる種子がある場所といってもいいかもしれない。
by. 桜井章一氏
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つまり、そこは感情や理性を超えた、
純粋な感覚が支配する領域なのだ。
いわゆる本当の「自然体」といったものは、
このニュートラルな感覚を足場に置いてこそ、
初めて生まれるものだと思う。
スポーツアスリートは、
競技の最中「ゾーン」
に入ったということをマスコミのインタビューで答えることがあるが、
ゾーンとは私のいうニュートラルと同じものだろう。
いかなる感情や思考にも影響されない、
日常ではありえない感覚なのだろう。
by. 桜井章一氏
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「もしかしたら俺は負けるんじゃないか」
という不安と、
それを打ち消すかのように
「いや、俺の強さがあれば大丈夫だ」
という自信が交互に表れては消え、
感情を揺らしていた。
ところが、いざ勝負に入ると、
そうした感情の類は一切消え、
静まりかえった気持ちのなかで、
牌を動かす手だけが生き物のように素早く動いていた。
「勝ってやろう」という気負いもなければ、
「まずいな」といった不安もなく、
ただひたすら緊迫感のなかでニュートラルな場所に立ち続けていたような気がする。
ただ、いえるのはニュートラルな感覚に入ったとき、
自分でも信じられないような常識外れの強さが発揮できるということだ。
by. 桜井章一氏
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それはもちろん意識してつくれるものではない。
だが、自分のなかにはニュートラルなゼロポイントがあるんだと思っておくといいだろう。
心がどうしようもなく揺れたとき、
その揺れがおさまる場所が確実にあるという思いは、
心を救うきっかけをどこかで与えてくれるかもしれないからだ。
by. 桜井章一氏
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