■桜井章一の折れない心のつくり方 -ぱる出版-
「終わり」は、また別の何かの「始まり」なのだ。水不足の恵みの雨だって、運動会の前日の雨だって、どちらも同じ雨。それに、「いい」「悪い」をつけるのは人間の都合なのです
たしかに、鈍感さが幸福をもたらすのはありうる話だ。
人には知らなくていいことがあるのに、
知ってしまったがゆえに辛くて悲しい思いをすることはままある。
しかし鈍感な人であれば、
同じような場面において、
ミスをぐだぐだと気にしてスランプに陥ったり、
相手への非礼を気にし過ぎて人間関係をおかしくさせたりするかもしれない。
たしかに鈍感力があることで、
辛い気持ちに陥ることが避けられたり、
心を折らずにすんだりすることはままありそうだ。
by. 桜井章一氏
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仕事の小さなミスに気づかなかったために、
大きなトラブルに発展してしまう。
相手への失礼に気づかなかったために、
疎んじられ、
縁遠くなってしまう。
鈍感さゆえに問題を大きくしたり、
チャンスを失ったり、
孤立したりする可能性もまた高くなるのだ。
そもそも何にでもよく気づく人であれば、
仕事でミスをすることもないだろうし、
人間関係で相手を怒らせたりすることもないはずだ。
by. 桜井章一氏
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結局は、失敗したことや辛いことに対してはそこそこの鈍感力を持ち合わせながら、
いろいろなことにちゃんと気づくというバランスがあれば一番いいのかもしれない。
だが、実際はポジティブに考えるほうが悲しみを引きずりやすいのだ。
ポジティブなタイプは、
そもそも悲しみをマイナスのものととらえることにおいて根本的に間違えている。
悲しいという思いは極めて自然に起こるものであって、
それ自体は別にマイナスでもプラスでもないのだ。
by. 桜井章一氏
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悲しいときは、
素でその感情を受け入れればいい。
もっとも悲しみに浸っていても、
いつまでもその状態が続くことはない。
心は絶えず変化していくものだからだ。
時間の経過とともに、
悲しみの感情は別の感情に侵食され、
それにとって代わることになる。
by. 桜井章一氏
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当初は悲しみの色一色だったのが、
喜びや怒りやさまざまな色を持つ感情が混じっていくのだ。
変化するままに心をゆだねれば、
自然と悲しい気持ちも変わっていく。
むしろ悲しみに思いっきり浸って泣き尽くしたような人のほうが、
早く別の方向へ心が変化するのである。
(母は)朝は家族の誰よりも早く起き、
夜は誰よりも遅く床についた。
by. 桜井章一氏
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その母が亡くなったとき、
私は激しく後悔した。
もっともっと孝行をしてあげればよかったと。
だから母が亡くなったとき、
口をついてでてきた言葉は
「ごめんなさい」であった。
その次には、一生懸命に育ててくれたことに対する感謝の言葉、
「ありがとう」が続いた。
by. 桜井章一氏
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母が与えてくれたものを返すことができなかった……。
そんな悔いがにじんだ
「ごめんなさい」と「ありがとう」
であった。
だが、どんなものにも「始まり」
があれば「終わり」はある。
「終わり」は、また別の何かの「始まり」なのだ。
悲しみの極みにあっても、
深い喪失感に沈んでいても、
そこには「始まり」という希望の芽がどこかに顔を出しているのである。
by. 桜井章一氏
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■桜井章一の「ぶれない生き方」 -PHP研究所-
「地球は自転している」
「地球は太陽の周りを公転している」
これは実際に確認したわけでなくとも、
だれもが信じる常識となっています。
しかし、こうした常識は、
時代や新しい事実によって変わることがあります。
人は弱く、
不安であるがゆえに、
「知識」や「常識」というものに頼り、
流されがちです。
しかし、何かを鵜呑みにすることは、
言いなりになっているということ。
by. 桜井章一氏
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自分をなくすことと同義なのです。
世間の常識や、
よしとされていることを疑ってみなければ、
何かに屈する人生になってしまいます。
しかし、「善」というのはわかりにくい。
入口は「善」だったはずなのに、
辿り着いたのは「悪」だったということが往々にしてあります。
by. 桜井章一氏
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にもかかわらず、世の中には、
愛や正義を「よきもの」として掲げる人が多いのです。
よかれと思ってしても、
悪に辿り着いてしまう。
これは人間の性です。
だからこそ、世間の常識や価値観を鵜呑みにせず、
「怪しい」と思うことが大切なのです。
by. 桜井章一氏
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世の中の「善悪」というと、
いいことだけを教え込もうとしますが、
ものごとは「善」も「悪」も持っているもの。
ものごとは、
どちらか一方に決めつけられるものではありません。
水不足の恵みの雨だって、
運動会の前日の雨だって、
どちらも同じ雨。
それに、「いい」「悪い」をつけるのは人間の都合なのです。
by. 桜井章一氏
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世間の価値観や自分の都合で、
「いい」「悪い」を判断しないことです。
そのような単純な色分けを「怪しい」
と思うようになれば、
気づけるようになる。
気づけるから、
ものごとを見極めることができる。
疑うこととは、
ものごとを立体図で見ることです。
by. 桜井章一氏
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疑えない人は、
平面に描かれたものだけを見て、
それがすべてだと思っている。
立体図で見ない人は、
正方形も立方体も同じように見ているということです。
私は、何かを見破ろうとか、
そういうことを思って見ているのではありません。
あるがままの形をそのまま見ている。
ただ、それだけなのです。
by. 桜井章一氏
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世間の常識、
世間のものさし、
世間の情報。
私はそういうものこそ疑います。
だから、自分の道をぶれずに歩くことができる。
外面的なことに身を任せるのではなく、
自分という内面に身を任せる人間は、
ぶれないのです。
by. 桜井章一氏
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