本当の強さとは、衝撃や圧力を柔らかく受けとめ、形が変わっても元にすぐに戻れる復元力を持つものだと思う。復元力をはらんだ折れないしなやかさをいかにして備えるか

■修羅場が人を磨く -宝島社-

本当の強さとは、衝撃や圧力を柔らかく受けとめ、形が変わっても元にすぐに戻れる復元力を持つものだと思う。復元力をはらんだ折れないしなやかさをいかにして備えるか

私自身は、”折れない心”といったとき、
メジャーリーガーのイチロー選手を思い浮かべる。

それ(実力以上に冷遇されている感がある)にもかかわらず、
イチローは腐ることもなく数少ない自分の出番において最高のパフォーマンスを発揮するためだけにバットを振り続けている。

野球における可能性を極限まで追い求めたい。

そのためにはメジャー以上の舞台はないということなのだろう。


by. 桜井章一氏

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どんなに出番が少なくても、
まだ残された可能性に挑戦し続けられることが何にも代えがたい喜びなのだろう。

過去に何度もスランプに陥りかけたことがあったが、
そんなときでも彼はけっして心を折らしていなかった。

あのしなやかな強さは無類のものだと思う。

イチローのプロ野球選手としての姿勢には、
折れない心をつくるための限りないヒントが間違いなく潜んでいる。


by. 桜井章一氏

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だが、硬いものは衝撃に弱く、
相当な負荷がかかれば亀裂が入り、
あっけなく折れてしまう。

本当の強さとは、
衝撃や圧力を柔らかく受けとめ、
形が変わっても元にすぐに戻れる復元力を持つものだと思う。

イメージでいえば、
竹などがそうだし、
「柳の枝に雪折れなし」
といわれる柳もそうだ。

自在に姿形を変え、
どこにでも入っていく水もそうかもしれない。


by. 桜井章一氏

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イチローの強さというのは、
この竹や柳、
あるいは水に通じるものがある。

強さというものを世間一般に持たれているイメージでとらえると、
必ずどこかで大きな間違いを犯すものだ。

見かけというのはまったく当てにならない。

さて、「折れない心」をつくるには、
心をどういう状態に置くかということ以外にもう一つ大事なことがある。


by. 桜井章一氏

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それは、心が折れてしまうような要因やきっかけをなるべくつくらないということだ。

すなわち、心を折らさないためには、
たんに心を強くすることだけでなく、
生き方そのものが根本から問われるのである。

復元力をはらんだ折れないしなやかさをいかにして備えるか。

風まかせな生き方をしていると、
少しくらい嫌なことがあっても軽く流せる。


by. 桜井章一氏

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■子どもを幸せにする親、ダメにする親 -成美堂出版- 善いとされることに従ってさえいれば善くなるのかという疑問があります。だから世の中...

たいていのことはたいしたことはないと思えるものだ。

ある武道の達人は若い頃、
水ごりといって毎朝寒い日も一日も欠かさず、
冷水を全身に浴びるという修行を6年も続けたが、
何の意味もなかったと後になって述懐したという。

冷水を体に浴びせるというちょっとした苦行は、
そのときの辛さをただ耐えるだけで、
心そのものを鍛えるには至らなかったわけだ。

精神力というのは力んでも、
意気込んでも、
おのずと限界がある。


by. 桜井章一氏

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辛いことに耐えに耐えれば心はその状態に馴れるかもしれないが、
そのことは心が本質的に強くなることを意味しているわけではない。

むしろ、気合いを入れて踏ん張っている心ほど折れやすいのである。

私は折れない心を持つには、
心の”向き”がとても大事だと思っている。

どの方向へ心が向いているか。


by. 桜井章一氏

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向き次第で心は折れやすくなったり、
しなやかな強さを持ったりする。

たとえば、頑張って努力して上へいかなくては人生の価値がないと思っている人は、
成功やお金持ち、
名声といったものに心が向いている。

だが、心の照準をこのような方向に合わせている人は、
心が折れやすい条件に設定されていると思う。

なぜなら、どんなに頑張っても思うような結果を出せるとは限らないし、
実際人生はたいてい思い通りにいかないからだ。


by. 桜井章一氏

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それにはいまのように溢れんばかりのモノや情報が
“何もない時代”に向きを合わせることだと思う。

すなわち、人が自然のなかで野生の生き物たちと共生していたような時代に心を向けることだ。

彼らには夢や目標というものもなかっただろうが、
それでも空虚になったり、
不幸に陥るなんてことはさらさらなかったはずだ。

何もないにもかかわらず、
彼らは自分の瞬間、
瞬間をよどみなく生きたのではないだろうか。


by. 桜井章一氏

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ただ、何もない時代にいた人たちの生き方や環境には、
心を折らすものがおそらくなかった。

そのことには、
すぐ心を折らしてしまう現代人にとって大きなヒントを与えてくれると思う。

心を折らないには、
それをどういう方向へ向けて生きていくかが重要なポイントになる。

もし心がどこか息苦しいと感じるなら、
心は間違いなく堅くなっている。


by. 桜井章一氏

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そんなときは向きを調整したほうがいい。

ちょっとした加減によって、
それまでとは違った柔らかさを心は持ち始めるかもしれない。

「心」が「折れる」のだから、
折れる心はとても堅い状態にあるといえる。

本来、心というものは柔らかく、
形の定まらないものであるはずだ。


by. 桜井章一氏

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それが堅くなるというのは何かの理由で固定され、
堅くなってしまったからに他ならない。

心が動かないように固定して堅くしてしまった結果、
出てくるのが”固定観念”というやつである。

固定観念に縛られた心は堅く柔軟性に欠けるから、
ちょっとしたハプニングやトラブルに出くわしただけで、
強い衝撃を受ける。

しかし、臨機応変に柔軟な考え方ができる心であれば、
マイナスの出来事が降りかかってもそれを柔らかく受けとめることができ、
衝撃が少なくてすむ。


by. 桜井章一氏

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たしかに社会は複雑化し、
そこにさまざまな価値が生まれ続けているが、
一方で「人はこう生きるべきだ」とか、
「人生において大事なのはこういう価値観である」
という部分での思い込みや固定観念はむしろ強まっているということではないだろうか。

頑張って努力すれば夢は叶う。
お金があるほど人生は幸せである。

人間関係は心がけやテクニックでいくらでもいいほうに変わる。

名前の通っているメジャーなものほど、
人にしろ会社にしろ商品にしろ、
価値が高い……。


by. 桜井章一氏

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これらはみな経済至上主義の社会の影響を受けたものばかりだ。

とくに力を入れて頑張れば努力は報われるという、
この社会ならではの努力信仰は、
まさに心がポキっといきやすい背景を形作っているといえる。

心が折れやすくなっているのは、
たんに心が弱くなっただけでなく、
それを引き起こしやすい環境を生きていかざるをえないせいでもあるのだ。

折れやすい心をしなやかで粘りのあるものにするには、
自分がとらわれている固定観念や思い込みを疑ってみることからまず始める必要があるのである。


by. 桜井章一氏

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