■桜井章一の折れない心のつくり方 -ぱる出版-
ところが、真っ白な空間というのは、人間にとってまったく歯が立たない。逆にいえば、意識のコントロールが届かない領域は感覚的に真っ白ということなのだろう
大事なのは、仕事も生活も人間関係もシンプルなほうへ向かうよう、
工夫していくことだ。
そうやってシンプルになっていくに従って、
心の揺れはきっと少なくなっていくはずである。
割り切ったと思ってどちらかに進む場合は、
じつは割り切っているのではなく、
切り替えをうまくやっているんだと思う。
あきらめる代わりに別の選択肢を見つけて、
「切り替え」をするしかない。
by. 桜井章一氏
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切り替えることで別のメリットがあるという発想に切り替えるのだ。
しかし、そんなときは同時に
「この辛さが俺の子どもへいかずによかった。
俺でよかった」とよく考えた。
そんなときに大事なのが、
こっちへ進むと別のいいことがあるんだという切り替えの発想ができるかどうかだ。
これしかないと思っていたことをあきらめるのは、
ゼロに戻ることではけっしてない。
by. 桜井章一氏
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とらわれた思いから自分を少し離し、
別のプラスになる道を探し出して切り替える。
あきらめ上手な人というのは、
いうまでもなく切り替え上手な人のことなのである。
そんなときはできるだけ、
煮詰まっている対象からいったん目を離して、
別のものへ向けることが大切だ。
心を切り替え、
それまでとは違う行動に移ることができれば、
葛藤や迷いも和らいでくる。
by. 桜井章一氏
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煮詰まっているのは頭なので、
体を使えばまったく違う回路がそこに生まれ、
自分のなかでよどんでいるものがスーッと流れ出したりする。
「煮詰まってしまったなあ」と感じたら、
ともかく考えるのをまずやめる。
そして体を動かすことで別のスイッチを入れることだ。
ふだんあまりしない体の動かし方をすることで、
復活のヒントがひらめいたり、
元の感覚が戻ってきたりするのだ。
by. 桜井章一氏
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心が煮詰まったり、
調子がおかしくなったと感じたら、
そこをさらに突きつめてはいけない。
さっと身を離し、別の行動をする。
できるだけ早くスイッチを切り替えることが、
不調を長引かせないコツなのだ。
いい見切りをするには、
どういうタイミングでするか、
そのタイミングが非常に大事である。
by. 桜井章一氏
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登山の最中、
天気が激変してこれ以上進むのは危ないと判断したら、
「勇気ある撤退」が必要なのだ。
悪い見切りには、
大きく二つのパターンがある。
ひとつは、劣勢にある状態からの挽回を早々にあきらめてしまうケース。
もうひとつは、反対に優勢な流れにあって慢心から、
「この勝負はもらった」
とばかりに最終の局面の手前で見切ってしまうケースだ。
by. 桜井章一氏
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この二つがともにダメな理由は、
いずれも勝負を途中で投げているからである。
どんなに劣勢でも逆転できるチャンスはあるし、
圧倒的に有利な状況でも土壇場でひっくり返されることは、
それなりの確率である。
私が絶対的ともいえる不利な状況をひっくり返せたのは、
じつは「もうダメ」と思いそうになる思考の切り替えを単にしたからではない。
同時に体感のレベルでの転換を本能的に行っていたからだと思う。
by. 桜井章一氏
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たとえば、道場生数人に自分の体を身動きできない状態にさせて、
そこから何ら力を入れることなく脱出してみせたり、
あるいは、道場生が後に手を組んで突っ立った私を倒そうとぶつかってきても、
私が少し体をひねっただけで逆に道場生が吹っ飛んでしまったり、
こんな風に劣勢を逆転できるのは、
体感の転換を瞬時に行っているからなのだ。
私がギリギリの土壇場をひっくり返せたのは、
根底にはこのような体感の転換を無意識にやっていたからである。
生きていくことは見切りの連続だと思う。
そのなかでどれだけ悪い見切りを避けて、
いい見切りができるか。
by. 桜井章一氏
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あるいは見切りのチャンスを外さず、
正確にできるか。
見切りのセンスを磨くことは、
すなわち生き方のセンスを磨くことにも直結するのである。
真っ黒と真っ白であれば、
真っ白のほうが極度に精神を混乱させるからだ。
人間は元来、
真っ暗な闇の世界には慣れている。
by. 桜井章一氏
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月の明かりすら届かない文字通り真っ暗な闇であっても、
嗅覚、聴覚、触角など眼以外の感覚を動員して手探りで動くことが可能だ。
ところが、真っ白な空間というのは、
人間にとってまったく歯が立たない。
四方八方すべてが真っ白な空間というのは、
人をとてつもなく不安にさせ、
それによって無力な状態に追い込むのだ。
だから、頭が真っ白になるほどのパニックに陥れば、
そこから意識的に抜け出すことは不可能である。
by. 桜井章一氏
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逆にいえば、意識のコントロールが届かない領域は感覚的に真っ白ということなのだろう。
そんなときは、時間がたってふだんの色が戻ってくるのを待つよりほかないのである。
私がパニックにならずにすんだのは、
時が過ぎれば大丈夫と思ったのと、
もうひとつは先にあることを何となく予測する習性が自分にあったからだと思う。
私は初対面で会った人のことを、
どこの出身地かとか、
最近こんな体験をしたんじゃないか?
とか、気まぐれに勘で当てたりすることがある。
by. 桜井章一氏
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そうすると、たいてい
「何でそんなことがわかるんですか!?」
と驚かれるのだが、
私にもその理由は説明できないのだ。
ただ、何となくそんな気がして、
それを言葉にするだけである。
おそらくこのような力は日常において必要でないから自然に身につくのだ。
必要でないからこそ、
自分が無になって当てることができるのだと思う。
by. 桜井章一氏
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じつはこうやって何かを当てることや近い未来を予測することを、
私は日常的に何気なくやっている。
すると未来は当然やってくるというより、
何となくすでに感じていたことを再現してくれるという趣になる。
不意を突かれてパニックになることがないのは、
こんな感覚があるからだと思う。
あともうひとつ、
パニックにならない理由として考えられるのは、
いざとなったら自分を捨てられる「捨て身」
の感覚があったからだろう。
by. 桜井章一氏
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不意なことに出くわしてすぐに頭が真っ白になってしまう人は、
おそらく後生大事にたくさんのものを抱えていると思う。
それはプライドであったり、
何かへの執着であったり、
その人にとって簡単には手放したくないものなのだ。
こういう人は失敗することやダメな自分をさらけ出すことを非常に怖れる。
だからいざというときに、
自分を捨てることができない。
by. 桜井章一氏
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