■桜井章一の折れない心のつくり方 -ぱる出版-
「きついな」「厳しいな」と思うときは、そんな自然の厳しさのなかに自分が置かれることを想像してみるといい。勝負の流れには必ず変わり目があってそれがチャンスになる
パニックになりやすい人には理由がある。
ちょっとしたことでパニックにならないようにするには、
ふだんの生き方をまず見つめ、
その上で修正していくしかないのである。
最近街を歩いていて感じるのは、
以前に比べて前のめりに歩く人が増えたなということだ。
体が前のめりになっている人は、
本来あるべき体の重心が前にズレてしまっているのだ。
by. 桜井章一氏
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だが、それ(スマホで猫背が増えたこと)以上に心の焦りが体に表れてそうなっている人が多いのではないだろうか。
なぜ心のなかに焦燥感を抱いている人が増えたのだろうか?
景気がいまひとつというなかで仕事がどんどんハードになり、
忙しさにいつも追われている人はたくさんいる。
あるいは、社会が抱えるさまざまな問題に対して強い不安を抱き、
何とかしなくてはと焦る気持ちを抱く人もいると思う。
by. 桜井章一氏
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さらに技術や環境の激しい変化も、
焦燥感をもたらす引き金になっているに違いない。
これだけ時代の変化が激しいと、
ついていくにはかなりのエネルギーがいるし、
必然的に消耗もする。
そんな変化に取り残されることは、
社会から脱落してしまうような気がしてしまう。
だがそれについていこうとすれば当然焦りも生じる。
by. 桜井章一氏
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もうひとつ焦りをもたらすものをあげるとすれば、
欲望を刺激するものが社会に溢れていることも影響していると思う。
欲望を煽るものが無尽蔵にある状態は、
心を絶え間なく欲求不満の状態に追い込んでしまう。
不満はその状態を満たすことでしか解消できない。
いまの時代に生きる人間である限りどうしても避けがたい焦燥感。
by. 桜井章一氏
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私は社会の変化についていこうとも思わないし、
時代の欲望に煽られることもまったくない。
だからこの手の焦燥感というものが正直実感として理解しにくい。
焦りの感情は基本、
目的というゴールがあるから生じる。
逆にゴールが設定されていなければ焦りは生まれようがない。
by. 桜井章一氏
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すなわち、「〇〇までに〇〇しなくてはいけない」
と思っているゴールの設定が変更されれば、
焦りの感情を和らげたり、
消すことは可能である。
先行きの見えない時代において生き残れるかどうかという焦りを抱いている人は、
「頑張って必ず生き残る」ことがゴールになっている。
変化に取り残されまいと焦っている人は
「変化についていく」ことがゴールだ。
刺激が多い環境において心が満たされないと焦っている人は
「満たされる」ことがゴールである。
by. 桜井章一氏
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「頑張って必ず生き残る」
というゴールは、
「力を抜けば何とかなるだろう」
というゴールに、
「変化についていく」
というゴールは
「そこそこついていけば十分」
というゴールに、
「満たされる」
というゴールは
「本当に必要なものさえあれば十分」
というゴールにそれぞれ変えてみるといいだろう。
焦りとは、
自分で自分を縛ることからしばしば起こるものなのだ。
「頑張って必ず生き残る」
「変化についていく」
「満たされる」
といったゴールは、
自分でそうでなくてはいけないと思い込んでいるにすぎない。
だから、焦っているときは、
「〇〇しなくてはいけない」
と自分を縛っているゴールの設定をどれだけ柔軟に変更できるか。
by. 桜井章一氏
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そこが大きなポイントとなるのである。
逆境にあるときというのは、
向かい風を思い切り受けているような状態である。
だが、向かい風を上手く利用すれば、
より高く、遠くに前に進むことができるのだ。
逆境はその意味で大きなチャンスなのである。
by. 桜井章一氏
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だが、かなり厳しい状況であれば、
そんなエネルギーはきっと続かない。
結局は惨憺たる状態になって敗北するのがオチだ。
私自身、人生のなかで
「これはきついな……」
と思ったことが幾度かある。
そんなときに思い浮かべたのが、
自然の姿だった。
by. 桜井章一氏
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だが本当の自然の姿はそんな綺麗なだけのものではない。
人の力などとても及ばない究極の厳しさ。
それが自然の本質だと思う。
「きついな」「厳しいな」
と思うときは、
そんな自然の厳しさのなかに自分が置かれることを想像してみるといい。
人生における厳しさは、
自分を強くしてくれる味方なのだ。
by. 桜井章一氏
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自分を飛躍させるチャンスなのだ。
そうとらえられれば、
逆境という状況に遭遇してもへんに慌てることはないと思う。
私にとって、
麻雀の勝負で楽に勝つことほどつまらないものはなかった。
そんな勝ち方をするなら、
面白い負け方をするほうが何杯も何十倍もいいと思っていた。
by. 桜井章一氏
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だから、自分が不利なときほど勝負が楽しかった。
それも向こうに圧倒的な有利さがあるときほど勝負の醍醐味を感じていた。
そんなとき、ふつうであれば勝負を投げ出してしまうのだろうが、
私は相手の激しい攻めをしのぎにしのいで、
ひたすら変わり目がくるのを待った。
私には運の量のようなものが計れた。
by. 桜井章一氏
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こちらが明らかに不利な情勢のときは、
たとえば私には1の運量しかないけれど、
相手は9の運量があるなといった具合に感覚的にわかるのである。
だが、運量はずっと同じままではない。
勝負において運量は戦況の変化とともに刻々と変わる。
相手の激しい攻めをひたすらしのぎ、
耐えていると、そのうち必ず、
勝負の流れに大きな変化が起きるときがある。
by. 桜井章一氏
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流れの潮目がそうやって到来したときこそ、
チャンスなのだ。
そこをすかさずとらえて攻勢に出れば、
流れの潮目では相手の運量とこちらの運量がスッと入れ替わったりする。
ぎりぎりに追い詰められた土壇場での勝負は、
いつもこんな感じで形成をひっくり返していた。
勝負の流れには必ず変わり目があってそれがチャンスになる。
by. 桜井章一氏
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