■桜井章一の「ぶれない生き方」 -PHP研究所-
自分の中の矛盾を否定するのではなく、素直に受け止めてしまえばいいのです。ガラスでも鏡でも、暗いところでは何も見えません。明るくして見ないと、何も映ってこないのです
だから、四万点浮きのダントツ状態であり、
現実には自分のトップが目に見えていても、
それを契機に保身にまわらないために、
もう一人、自分の前にトップ走者がいる、
と仮定します。
「これは仮のトップなんだ。
もう一人すごい奴が前にいるんだ。
あと一回、もう少し、いや、もっともっと和了らないと、前の者には追いつかない」
と思い込む。
トップで終わったとしても、
「トップではなく、少し足らずの二着なんだ」
と自分に言い聞かせて前に進みました。
そうすることで、
前向きな気持ちを忘れず、
日和をなくし、
後ろからの追従を振り払い、
中途半端な勝ちを拾うことなく、
ダントツの道をつくりあげてきたのです。
by. 桜井章一氏
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もっと和了る上がる、さらに前進、
ということと矛盾するようですが、
「五二〇〇点和了ったら、三九〇〇点を返してあげるような気持ちで打ちなさい。
せっかく取ったんだからしまっとこう、
という麻雀は打つんじゃないよ」
と雀鬼会では教えています。
和了ることと振り込むことで、
麻雀です。
麻雀の一局には、
点棒を他者に与えていかないと勝てない場合があるのです。
その微妙さがわからないと、
和了れば得、振り込んだら損、
という目先の発想になってしまいます。
by. 桜井章一氏
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私には、和了っていてもこれから負け始めるよ、
という和了り方がわかるのです。
和了れば「ラッキー」と思うでしょうが、私は、
「これでいま和了っただろう。
いまから君は負けるよ」
と、これから起こることを、
事前に教えることがもできます。
「この人は、いまたまたま運がいいだけで、これからどしゃ降りになってしまう人だな」
ということがわかるからです。
太陽が隠れたときは、
「ああ、雲ってしまったな」
と思うでしょうが、
雲の大きさなどを見ていれば、
「まもなく太陽が照ってくるな」
とわかります。
by. 桜井章一氏
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ただ、待っていればいい。
組織化されるということはもうすでに維持にまわっていることを示しています。
結果、なんの魅力もない人間集団になってしまう。
さらに注意すべきことは、
人は、保身のため、
組織維持のために、
悪いことに手を染めることもあるという点です。
by. 桜井章一氏
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麻雀に限らず、
自分のムダをなくし、
所作を速くすれば、
相手のことがよく見えてきます。
人のことがわかれば、
どうにかなると思っている。
人のことがわかれば勝てるのではないかと、
そこから始まってしまうところに間違いがあるのです。
夫や妻のことをわかろう、
彼や彼女のことをわかろうと、
そうやって、人のことをわかろう、
わかろうとするのではなく、
自分自身をきれいに掃除してムダな要素を省いていけば、
相手のことが見えてきます。
by. 桜井章一氏
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自分というガラスが曇っているかぎり、
何も見えません。
自分のムダな要素、
ムダな思考というものをきれいにして、
自分のことをきちんとわかるようにして、
はじめて人のことが見えてくるのです。
ムダな思考とは、
考えすぎということです。
人間というのは、相反する部分、
いい部分も悪い部分も、
強い部分も弱い部分も持っている生き物です。
by. 桜井章一氏
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その時々で、強かったり弱かったりする。
それを「自分は強い人間なんだ」とか、
「賢い人間のはずだ」とか、
決めつけようとすると、
心が分裂して、
病んでしまうのです。
いいところも、悪いところもあっていい。
自分の中の矛盾を否定するのではなく、
素直に受け止めてしまえばいいのです。
by. 桜井章一氏
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どちらかに決めつけようとするから、
どんどん暗いほうへいってしまう。
自分のダメな部分を知っているから、
自分のすべてを否定されるのではないかという怖さがあるのです。
自分のガラスをきれいに明るくしていれば、
自分がよく映ります。
妄想とか思い込みとか、
そういうものは明るくない。
by. 桜井章一氏
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ガラスでも鏡でも、
暗いところでは何も見えません。
明るくして見ないと、
何も映ってこないのです。
自分が見えれば周りの人も見えてくるし、
自然に気づくようになります。
明るく生きるということは、
とても大切なことなのです。
by. 桜井章一氏
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だから雀鬼会では、まず明るさを教えます。
自分を照らすため。
あるいは、他人の迷いや悩みを照らすために、
明るくなりなさいということです。
いいものというのは、
すべての人のためにあるのではありません。
本当にいいものというのは、
ほんの一部の人びとのためにあるのです。
by. 桜井章一氏
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ほとんどの人びとは、
いいものに背を向けてしまうし、
また、いいものというのはとても少ないのです。
多くの人は、
自分にさえ都合がよければいい、
という生き方をしているのです。
欲望がすぎると、
生き物としての姿、
人間としての姿形を変えてしまいます。
一〇〇点満点の人は、
やっぱり人間らしさをなくしています。
by. 桜井章一氏
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一年三百六十五日を通して、
本当にいい日だったなあ、
という日は、
だれの場合でも少ないと思います。
だからこそ、たまの喜びや幸せを感じることができるのです。
これと同じで、本当にいいもの、
いい人というのは少ないものなのです。
物欲が増すと、
反比例して心が貧困になる。
by. 桜井章一氏
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いいものには自ずから限界があるし、
広まったらいいものではなくなる。
数が増えれば自分の目も行き届かなくなるし、
本来とは違うとらえ方をされる可能性もある。
世間の人は、いいものなら広めましょう、
組織化しましょう、となりますが、
それは違うのです。
本当にいいものは少ないのです。
by. 桜井章一氏
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少ないからこそ大事にしましょう。
これが私の持論です。
真理は一つですが、
努力や愛などは一つではないのです。
知ること覚えることも、
全部が正しいわけではありません。
いいほうへ向かって覚える、
学ぶということが大切です。
by. 桜井章一氏
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