■桜井章一の「ぶれない生き方」 -PHP研究所-
世間の領域に合わせて生きていると、心も身体も、どんどん硬くなっていきます。努力しなければ柔らかさは保てません。気づかなければ、取り戻せないのです
力でもある程度まではいけるのです。
しかし、力には限りがある。
「押してもダメなら抜いてみろ」
のときに技が決まっている。
自分が力を抜くと、
相手の力も抜けてしまうのです。
人間、めいっぱいやればどうにかなると思っているようですが、
めいっぱいやったとき、
逆にパッと力を抜いてみることで、
全然違う力が出てくるのです。
by. 桜井章一氏
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力ずくというのは、
つらいものです。
ですから往々にして人は、
頭で考えたり、
テクニックを身につけたりと、
楽なほうへいってしまうのです。
「力ずく、力任せ、ということを身体で覚えたら、今度は力を抜いて、力を出せる人間になりなさい。
それも身体で覚えなさい」
「身体で覚えたら、次に、自分の決めた通りになるようにしなさい」
と教えています。
by. 桜井章一氏
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つまり、自分が心で思ったことが、
現象化するようになるのです。
普通の人は頑張り続けるだけで終わってしまうのですが、
頑張ってみてパッと力を抜くコツを覚えていくと、
頑張らなくても人より力を出せる境地というものを獲得できます。
人間というものは、
柔らかく生まれて、
硬くなって死にます。
ということは、大人になるということは、
硬くなるということです。
by. 桜井章一氏
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心臓でも肺でも、
柔らかいから動いて働いているわけで、
硬くなったら動きません。
死んでしまいます。
みんな、柔らかいから生きていられる。
動くということは、
生命として大切なことです。
世間の領域に合わせて生きていると、
心も身体も、どんどん硬くなっていきます。
by. 桜井章一氏
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そして、硬くなることで、
感覚もどんどん薄れていってしまう。
私から見れば、
違和感があるのです。
極力、自然を対象にして動くようにすると、
感覚を取り戻せます。
動くときは、
身体全部を一緒に持っていくのです。
by. 桜井章一氏
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腕だけとか、脚だけとか、
バラバラに動かすのではなく、
身体全体を持っていくような感覚です。
柔らかさこそが自分を助けてくれる、
保たなければならないものだということを。
努力しなければ柔らかさは保てません。
自分で自分の中の違和感を感じられなければいけません。
by. 桜井章一氏
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気づかなければ、
取り戻せないのです。
でも、だれもが小さいときには感覚というものを持っていたのです。
だから、どこかに童心というものを取っておくことが大切です。
人の非を見ない、
人の非を聞かない、
人の非を言わない、
という戒めを教えるものだと言いますが、
私に言わせれば、それは、
見なくてもいい、
聞かなくてもいい、
言わなくてもすんでしまう――
つまり、見なくても見えてしまう、
という達人のレベルのことを指しています。
by. 桜井章一氏
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その境地までいくためには、
その前段階でしっかり見る、
しっかり聞く、
しっかり言うという工夫は、
もちろんしなければならないのです。
たとえば、音を聞くにしても、
心を落ち着け耳を澄ませてみれば、
いままで聞こえなかった音が聞こえてくることがあるはずです。
それを、目で見たから間違いないとか、
耳で聞いたから言葉を交わしたから間違いないと思ってしまう人が多い。
「とんでもない。それは、君が見たつもりのもの聞いたつもりのものであって、もっと心を研ぎ澄ませれば、そうでないものがいっぱい見えたし、聞こえてきたはずなんだよ」
と話すのです。
by. 桜井章一氏
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同じ見るのでも、
心を研ぎ澄ませて見る。
あるいは音を聞くのでも、
聞こえない音を聞こうとする。
そうすると、違ったものが見え、
聞こえてきます。
人の心を見るのも同じこと。
by. 桜井章一氏
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ただ眺めてるだけでも大きな変化は見えますが、
もっと見ようとして、
心を研ぎ澄ませば、
さらに見えてきます。
そうしたときに、
はじめて裏返しの牌も見えてくるのです。
五感というものは、心を澄ませ、
精神を研ぎ澄ませていかないと、
常識の範囲内でしか機能しないものです。
ほとんどの人たちは、
そこそこどころか、
いろんな言い訳をして、
まやかしで生きている。
by. 桜井章一氏
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その事実に気づいてさえいないし、
また、その言い訳を、
だれも見抜けないのです。
みなさん、心を洗って、
適度な温度を保つ努力をしていないでしょう。
そういう努力をしていないと心が汚れてきます。
汚れた心を通じて何かを見ても、
本質的なものは見えてこないのです。
by. 桜井章一氏
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結果が悪い場合、
弱者はたいてい言い訳をしたり、
言い逃れをしたり、
ウソをつきます。
あるいは、人のせいにする。
だから、逆にこちら側が意図して、
相手の気持ちにさらに動揺を起こさせるのです。
通常の麻雀というのは、
ミス合戦です。
by. 桜井章一氏
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それでも、ほんの少しの心のスキや、
わずかな油断や陰りで、
ミスは起こるのです。
自分で納得できる「勝負振り」
を心掛けなければ、
勝負運、勝負強さというものは身につきません。
さらにミスにも、
過信やいいかげんさ、
油断や甘さなどの
「心のミス」があります。
人生をお金の動きだけでとらえようとすることに意味がないように、
勝負の行方をはっきりと決定づけるのは、
点棒の動きではなく、
打ち手の心の動きです。
by. 桜井章一氏
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麻雀においても心の中のミスが手順のミスとなって現れてくるように、
人生においても目に見えない心の中でミスが誘発されて、
悪い結果につながるのです。
しかし、自然界には変化があって、
晴れたり曇ったり、風も吹く。
それと同じで、人の気分にも、
毎朝起きたときだけにげんていしてみても、
変化があります。
そして、自分でも気づかない程度の気分の変化が、
麻雀にも出てきているのです。
by. 桜井章一氏
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