■桜井章一の「ぶれない生き方」 -PHP研究所-
強さとは、流れに沿っていく能力であり、敗れる者は自分の欲で負けるのです。目的意識を持たないで踏んばれることが、一番すばらしい
失敗してもいいのです。
失敗をどれくらい生かせるかで、
人生も勝負も決まってきます。
つらい思いをして勝ちとった勝利や幸せだからこそ、
価値があるし、喜びも大きい。
ボクサーのように、
打たれ強くないとダメなのです。
by. 桜井章一氏
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やられたらやり返す気持ちを持っていなければ、
決して強くはなれません。
人間は、つらさがあってはじめて壁を乗り越えることができるのです。
それを逃げているようでは、
進歩なんてありません。
そんなとき、たいていの人は、
身体のせいにしてしまいます。
by. 桜井章一氏
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「寝てないからなあ、大丈夫かなあ」
「うまくいかないだろうなあ」とか。
私は逆です。
「あ、チャンスだな」と思う。
いわゆる不運を、与えられた手だ、
テーマだと思うのです。
その中で。どうにかすればいい。
by. 桜井章一氏
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我慢しているうちは、
我慢ではないのです。
鍛錬していると思っているうちは、
いまだ鍛錬ではない。
鍛錬しているという意識がなくなって、
自然にやっている行為が本当の鍛錬です。
よし、これから強くなろう、鍛錬しよう、
と思って我慢している状態というのは、
本当の意味での我慢でも鍛錬でもないということです。
by. 桜井章一氏
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つまり、つらさはつらさではなくなる。
つらいことと楽しことを、
分けて考えてはいけないのです。
私は人がリーチをかけてくると、
うれしくなります。
条件が厳しくなればなるほど、
緊張感が高まって気持ちがいい。
by. 桜井章一氏
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人がリーチをかけてきても、
自分のやることは決まっています。
前向きな気持ちを忘れないで、
和了りを目指すだけ。
ですから、日常生活でつらいことがあったら、
それは私にとってのチャンスなのです。
麻雀には、人間の意志とは関係なく、
「麻雀の流れ」というものがあります。
by. 桜井章一氏
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麻雀の流れというのは、
川の流れみたいなものです。
ただし、水深の浅い川なら足を取られることはありませんが、
流れの速さは同じでも、
深い川の場合は身体ごと持っていかれることがあります。
つまり、深いか浅いかで、
流れの感じ方が違ってくるのです。
度量がまだでいていない人の場合、
浅いか深いかなどわかりません。
by. 桜井章一氏
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しかし、私の場合は、
身体全体で流れを敏感にキャッチできてしまうのです。
ですから、「この強い流れはまともに受けられないなあ」
と思ったら、川の流れに沿いながら斜めに横切って向こう岸へ渡り、
相手の懐に飛び込んでいくこともあります。
牌の流れが教えてくれるものに、
もっともっと素直になることが大事なのですが、
素人は、負けているからと大物手を狙ったり、
勝っているから安手で逃げ切ろうとしたりで、
往々にして流れとは逆方向へ進んでしまうのです。
つまり、欲のかたまりになって流れに負けるということになるのです。
by. 桜井章一氏
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流れに逆らったら私だって勝てません。
流れに沿っていくとき、
一切の欲は顔を出す暇もありません。
強さとは、流れに沿っていく能力であり、
敗れる者は自分の欲で負けるのです。
相手のリーチは、
川の流れの中の岩であり、
障害物です。
by. 桜井章一氏
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水や魚は岩をぜんぜん気にしません。
岩を怖がり、逃げるのは人間心理。
それを水や魚になって、
すき間を見つけたり、
迂回するのが、
流れに沿うということです。
自然界の一つひとつのもの、
小石にも空き缶にも神が宿っているという見解があるそうですが、
それと同じで、牌一個も神様なのです。
単なる道具などではありません。
by. 桜井章一氏
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それを、人間がなんとかしようと扱ってしまうときに、
人の持つ悪いものが入り込んでしまうのですね。
麻雀の本質と、つまり自然と同化し、
調和をはかれるようになれば、
その人の麻雀は本物になるのです。
そのときが、私を、人を捨てたときであり、
牌を運転しているのではなく、
牌が自分を運転してくれているときです。
普通の人は、全部和了りたい、
そうすれば勝つ、と思うようですが、
麻雀というのは天気と同じで、
雨が降ったり止んだりしています。
by. 桜井章一氏
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それが自然です。
だから、「あ、これは当たるな」と思っても、
振らなければいけないときは振る。
いわば雨です。
そこを晴れにしてしまうと、
作物が育たなくなったり、
困る人がいるのです。
by. 桜井章一氏
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損得ではなく、振り込むとわかっていても、
麻雀の自然の流れに沿って、
振らなければならないときは振るのです。
たいていの人は、
損か得かだけで判断してしまっています。
そうして、麻雀の流れを止めて、
どんどん幅をせばめていって、
麻雀のゲームではない、
人間の悪い心のゲームにしてしまう。
むかしの人間は、本能のまま、
自然のままだったはずです。
by. 桜井章一氏
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また、人類の進歩というのは、
人類が自然から身を引きはがすことであり、
つまりは人工化の歴史でした。
人間というのはもともと自然の中の存在なのだから、
自然というものを大切にして、
そのうえで、
何分のいくつかの人工的なものがあっていいではないかと思い始めている。
目的や目的意識を持ったときに、
人間はダメになります。
経過を大切にする精神が希薄になるのです。
by. 桜井章一氏
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目的意識を持たないで踏んばれることが、
一番すばらしい。
勝つため、偉くなるため、
金持ちになるためといった目的意識は、
自然界にはないのですから。
by. 桜井章一氏
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