■桜井章一の「ぶれない生き方」 -PHP研究所-
「勇気と慎重を同時に出せると、そこに強さがある」。お金儲けを一つしたら、損得勘定ではない他のことを五つするくらいがいいのです。知らないことでも怖いことでも、おもしろいと思えるのです
プロとアマチュアの最初の分かれ目は、
たとえ役満を振ってもカッして乱れたりしない、
「冷静さ」「慎重さ」にあります。
では、どうしたらカッとしなくなるのかというと、
振ったのはだれのせいでもなく、
自分の判断なのだと認めるところから始まるのです。
他人のせいにしたときから、
自分との戦いに敗れることになり、
勝負に必要な「判断力」「記憶力」「集中力」
「推理力」「構成力」「分析力」「注意力」
のすべてが機能しなくなってしまいます。
「考え」は、「考えすぎ」となり、
「読み」は、「読みすぎ」となる。
by. 桜井章一氏
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そうなる前に決断が求められるのです。
無謀になると、慎重すぎのときと同じくらい、
迷いと弱気が出てくるものです。
慎重に打ちすぎても、
勇気がありすぎても、
負けるパターンとなります。
つまり、慎重さは、
勇気とのバランスを取ることが大切なのです。
by. 桜井章一氏
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「勇気と慎重を同時に出せると、そこに強さがある」
ということです。
なにごとをするにも、
適切な判断力、見極めの力は、
とても大切な要素なのです。
ではどうして、考えすぎたり、
迷ったりするのでしょう。
それは、わからないから、
自信がないからからです。
by. 桜井章一氏
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人は、生き物である以上、
本能的に自然の流れを察知する能力を持っています。
しかし、極度に緊張やプレッシャーを感じると、
自然の流れに自分の勝手な情報や理屈をくっつけてしまい、
長年積み重ねてきたはずの感覚に疑問を持ってしまうのです。
その結果、麻雀の本質が教えてくれる自然の流れに逆らう形となり、
自分から間違った方向へといってしまう。
そうして、自然がつくり出す天運にも逆らい、
運を落としていき、
負けることになるのです。
by. 桜井章一氏
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人の生きざま、人の性格、
人の本性が入り込み、
それらで多分に左右されてしまう麻雀だからこそ、
大きな落とし穴があるのです。
もっとものごとの本質、
自然の流れを見極める努力をするべきなのです。
贅肉だらけの心をもっとスリムにすることなども、
そのための工夫の一つといえるでしょう。
みなさんも知っているように、
世間の大人というのは、
気取った服の下にダブダブにゆるんだ贅肉だらけの身体を持ち、
知性だ、教養だ、理性だと、
能書きをたれながら、
贅肉だらけの心になっているのですから。
by. 桜井章一氏
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「雀鬼」という麻雀プロのイメージでそういう依頼をするのでしょうが、
私は逆に、勝つということに疑問を抱いています。
決して勝つことが正しいわけではないと思っている。
お金儲けが悪いとは言いませんが、
それだけで生きるのはむなしいことです。
お金儲けを一つしたら、
損得勘定ではない他のことを五つするくらいがいいのです。
by. 桜井章一氏
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そういうことに気づかないで、
世間の人は、
苦労するのは馬鹿馬鹿しいとか、
楽をして豊かになるのがいいことだと刷り込まれています。
世の中に合わせて生きようとすること自体に、
ストレスがあるのです。
自由というものは厳しいし、
責任も伴う。
みんな、社会に従って、
楽をして安全に生きようとしている。
by. 桜井章一氏
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けれども、管理されたところで不安は消えないし、
ストレスが増すだけ。
人間、生きているかぎり不安は消えないのです。
生命を守りたいという本能がある限り、
不安はなくなりません。
私の場合、不安はあって当たり前だと知っているだけ。
by. 桜井章一氏
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あって当たり前だと思っているから、
心構えや覚悟ができているというだけです。
みんな自分の中で勝手に不安を大きくしています。
知らないことでも怖いことでも、
おもしろいと思えるのです。
だから、囲いの中にいなくても、
自分の道を歩いていける。
by. 桜井章一氏
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しかし、基本的に私がそのときそのとき感じたこと、
思ったことはぶれていないようです。
それは、私が己の道を歩いているからに他なりません。
by. 桜井章一氏
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■わが遺言 ~勝負の鬼が辿りついた50の境地~ -ポプラ社-
私が雀鬼会でやってきたこと。
それは「瞬間を生きる」
ことの繰り返しであったと言っていい。
「その時、その場」に合わせ、
道場生たちとともにいくつもの
“一瞬”を駆け抜けてきた。
私と道場生たちのやってきたことに
“また”はなく、
「その時、その場」だけに成り立ってきたものであるから、
再現することも、残すこともできない。
by. 桜井章一氏
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雀鬼流は、”今”にしか存在しない。
雀鬼流は、私であって私ではない。
この世の中のあらゆる物事は日々刻々と変化し、
一時として同じ状況、
状態であることはない。
私は今まで、その時、
その場で起きたことに対して処置を施してきたに過ぎない。
いくつもの出会いや別れを繰り返す中で、
私は常に「終わりは始まり」
の感覚で生きてきた。
by. 桜井章一氏
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「終わり」によってすべてが
「終わる」のではなく、
「終わり」によってそこから新たな何かが
「始まる」という感覚。
すべては円のように繋がり、
流れているという感覚。
だから「終わり」を悲しんだり、
未練に感じたり、
あるいはいつまでもそこにしがみついたりすることは一度もなかった。
雲の流れ、風の流れ、潮の流れを読み、
進むべき最善の航路を選び、
舵を切る。
by. 桜井章一氏
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私はそうやって自然からさまざまなことを学び、
勝負事のみならず、
人生を歩む上での判断の礎としてきた。
スマホやパソコンといった文明の利器を扱えない私にとって、
科学技術が進歩すればするほど、
さらにこの社会に人工物が増えれば増えるほど、
体の中の違和感が大きくなっていく。
違和感が大きくなるにともない、
私の生命を動かす感覚がひとつ、
またひとつと閉じていっていることも切実に感じている。
これ以上、私の中の違和感が大きくなったら、
私は”雀鬼”ではいられなくなるだろう。
今まで私を導いてくれてきたこの”感覚”を失ったら、
私はもう私ではなく、”雀鬼”でもない。
by. 桜井章一氏
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