だれが相手であろうが、人が見ていようがいまいが、己の姿勢を崩さない心をふだんから持ち続けなければなりません。見えないものを見るということは、無意識の領域で見るということです

■桜井章一の「ぶれない生き方」 -PHP研究所-

だれが相手であろうが、人が見ていようがいまいが、己の姿勢を崩さない心をふだんから持ち続けなければなりません。見えないものを見るということは、無意識の領域で見るということです

だれが相手であろうが、
人が見ていようがいまいが、
己の姿勢を崩さない心をふだんから持ち続けなければなりません。

欲も、緊張感も、心の揺れも、
人間に与えられたものです。

あって困るものではなく、
むしろないと困るものです。

ありすぎるからいけない。


by. 桜井章一氏

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つまり、心は揺れて当然です。

緊張感や、心の揺れや、
欲をなくそうとするのではなく、
それらを楽しめる、
それらに負けない人間になればいい。

揺れない心というのは、
恐怖心を抑え込んで力技に徹するということではありません。

端的にいえば、
心理的バランスを保つということ。


by. 桜井章一氏

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そのためには、恐怖心を抱え込んだまま、
しかし、それに惑わされずに心を元に戻して打っていかなければならないのです。

私は麻雀人生において、
「感じる」ということを自分の指針として方向づけしてきました。

感じるということは、
「見えないものを見る」
ということにも通じてきます。

「でも私には外見は関係ないんだ。
問題は内面だと思う。
時間にとらわれなければ『今』を生きることができる。
それが私の哲学なんだ。
もちろん、私が簡単に相手の内面が見られるというわけではないよ。
でも私は、見ただけで相手をジャッジしないようにしている。
目に見えるものにとらわれない。
信じるものは、心に感じられたものだけだ」
by. ヒクソン・グレイシー


by. 桜井章一氏

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私の場合、麻雀を打っている人の、
その後の勝負のプロセスや結果までわかってしまいます。

また、自分が麻雀大会に参加したときなど、
「今回は一六位になるよ」
「今日は三位になるよ」
と開始前に宣言しておいて、
その通りの順位で終わることができるのです。

いずれの場合も、
それぞれの卓の雰囲気が見えてくるから、
そんなことが可能になるのです。

もちろん目には見えません。


by. 桜井章一氏

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しかし、相手の心の動きが見えるというか、
感じられる。

一生懸命に集中して見るということは、
執着を強めることともいえます。

執着すると、
対象の中に入り込んでしまって見えなくなることもあるでしょう。

心でいえば、「頑張ってるんだ」
という意識が消えた真の頑張りの状態のとき、
身体いえば、力を抜いた状態のときに、
感じられるのです。


by. 桜井章一氏

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■勝負の格言 -宝島SUGOI文庫- 人生の勝負は容赦ないもので、 人の好不調などまったく配慮してくれません。 ...

見えないものを見るということは、
無意識の領域で見るということです。

私の場合は、無意識部分に入っていって、
そこから意識に上げてきて戻す、
という感じです。

そうすると見えないものが見えてくるのです。

こういう境地といいますか、
力を獲得する前は、
「岩の時代」がありました。


by. 桜井章一氏

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つまり、麻雀を覚えて以来一度も負けたことがなかったのは、
麻雀を覚える前に「岩のレベル」
をある程度卒業していたからではないかと思います。

そのとき、きっと私の額には青筋が立っていたはずです。

ちなみに、その青筋が立った形相の凄さから、
「雀鬼」というニックネームがついたのです。

多くの人は、
麻雀を数のゲームとして見ることで、
知性のゲーム、頭脳プレイとしてとらえてしまっていますが、
私にいわせれば、「牌は絵なり」。


by. 桜井章一氏

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麻雀は「数」ではなく「絵」だということです。

私の麻雀には、
美意識が働いています。

配牌を見て汚いと感じたら、
面子が揃いそうなときでも、
切っていく。

心を動かす、感動を起こす、
感受性を高める、
生活にエネルギーを起こす。


by. 桜井章一氏

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■人を見抜く技術 ~20年間無敗、伝説の雀鬼の「人間観察力」~ -講談社+α新書- 雀鬼 桜井章一氏の名言 -癖を減ら...

そういう気持ちを生じさせてくれる絵が残らなければいけないのです。

勝手は許されません。

自由に生きることには、
自分の自由な言動への責任が伴うのです。

しかし、その中でも、
ピンボケでない打ち方ができる人、
仕上がりの構図まで考えて打てる人となると、
ぐっと人数が減ってくるはずです。


by. 桜井章一氏

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ましてや、被写体を心の目で捉えて、
その本質を掴み出せる人となると、
ほとんどゼロに近くなってくるのではないでしょうか。

感性とは、いわゆる性分のことです。
だれもが生まれてながらに持っているもの。

「個性」と呼ばれるものと同じものです。

感性はだれもが持っていると同時に、
いい・悪いもあります。


by. 桜井章一氏

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これは、親から受け継ぐ遺伝子の味加減によるところが大きい。

感性というものは
生まれてからずっと自分にくっついていて、
取れるものではありません。

しかし、薄め、磨くことで、
その先にある「感覚」を感じられるようになるのかもしれません。

感覚とは、自分から少し離れたところにあります。


by. 桜井章一氏

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空気のような、触れているのに触れていないようなもの。

それが感覚です。

たとえば、海で泳いでいる魚に人ん原画近づくとなぜ逃げるのかといったら、
大きなものが近付いてくる圧力を感じるからです。

その違和感から、魚は逃げるのです。


by. 桜井章一氏

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この人間が持つ圧力から離れたところに、
感覚はあります。

人間は、何かをしようとするときに、
必ず力が入っています。

むしろ、それが能力であると思っている。
とても硬い力です。

しかし、力を入れずにして何かをやってしまう。
無意識にできてしまう。


by. 桜井章一氏

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これが感覚です。

感覚はとても柔らかいもので、
力を入れるとどこかへ消えてしまうのです。

摑もうなどと思ったら消えてしまう。
力は入れるのではなく、抜くのです。

しかし、私が力を抜いて気持ちよくなれば、
彼らは自分の身体がどこかへ消えてしまったように感じて抵抗できなくなり、
私のなすがままになってしまうのです。

そのときには、おぶさっている私のほうでも、
「私」が消えているのです。


by. 桜井章一氏

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