「金はケチっても、心はケチるな」。人間は成長することで余分なものを溜め込んでいく。もしかしたら、本当の自由というものは自分で自分を律する中にこそ、あるのかもしれない

■わが遺言 ~勝負の鬼が辿りついた50の境地~ -ポプラ社-

「金はケチっても、心はケチるな」。人間は成長することで余分なものを溜め込んでいく。もしかしたら、本当の自由というものは自分で自分を律する中にこそ、あるのかもしれない

日頃から「心だけはケチるまい」
と思っている末に出た、
私の行動だった。

見栄を張るための心配りはいただけないが、
見返りを求めない心配りのできる人は知らず知らずのうちに周囲からも認められる存在となっていくものだ。

「金はケチっても、心はケチるな」
安っぽく見られたくないなら、
そのことを肝に銘じるべきだろう。

つまり、人間は孤独な生き物なのではなく、
誰かの助けがなければ生きていけない弱い生き物なのである。


by. 桜井章一氏

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人間は成長することで余分なものを溜め込んでいく。

業績や地位、名誉といったものが、
その代表的なものかもしれない。

でも、それらの中に人間が生きていく上で本当に必要なものは何ひとつない。

そんなものを溜め込んでいくから身動きがとれず自然な生き方ができなくなり、
自分が自分でなくなってしまうのだ。


by. 桜井章一氏

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だが、今の人たちは親や教師、
あるいはこの社会に「つくられた」
人たちばかりなので、
自分というものを分かっていない人が多い。

自分を自分でつくりあげたのなら、
ある程度把握のしようもあるが、
自分自身が「誰かに(何かに)つくられたもの」
であるから理解しようにもできないのだ。

そんな「自分を見失ってしまった人」
たちが自分を確認したいのなら、
自身の”いいところ”ではなく”悪いところ”
を見つめてみればいいと思う。

あなたが思う自身の”いいところ”は、
社会によって形作られた価値観によってできあがった、
いわば仮面のようなものである。


by. 桜井章一氏

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でも本当はそんな仮面の裏側にある、
“隠したいところ””弱点””悪いところ”にこそ、
あなたの本当の姿や思いが詰まっている。

自分探しなどをして迷ってしまったのなら、
真っ先に自分の”悪いところ”に目を向けるべきである。

私は昔から「まわりからどう思われようが知ったこっちゃない」
と思って生きてきた。

言ってみれば、どんな時も
“素”を晒して生きてきたわけだ。


by. 桜井章一氏

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余計なものをたくさん身に付けていれば、
本当の自分が何なのか分からなくなって当然だ。

そうすれば(自分の悪いところを見つめてみよう)、
あなた自身の本当の姿がちょっとずつ見え、
聞こえないふりをしていただけの”心の声”がきっと聞こえてくるはずである。

「耐えて何かを身に付ける」
「忍耐強くがんばる」、
世の中ではいいとされるそういう行為が私はあまり好きではない。

「夢を持て」「目標に向かって走れ」
というような謳い文句を聞いても、
私にはそれが戯言に聞こえてしまう。


by. 桜井章一氏

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■修羅場が人を磨く -宝島社- 修羅場からも理不尽からも決して逃げてはいけない。瞬間的に決断を下していくことで迷いというものは消えてい...

若い頃は麻雀に負けるのだけはとにかく嫌で、
来る日も来る日も自分より強そうなやつを探しては勝つために牌を打ち続けた。

いずれにしろ、
私にとっての麻雀は耐えるものでもなければ、
「がんばれば何かを得られる」
というものでもなかった。

その目標が大きければ大きいほど、
あるいは高ければ高いほど、
そこに邁進するために大きな力が必要となる。

大きな目標を達成するためには、
その大きさに比例して犠牲も大きくなるのである。


by. 桜井章一氏

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夢や目標を持つことが本当にいいことなのか?
自分は響きのいい謳い文句に騙されていないか?

そのことを今一度、
みんなで考え直してみたらいいと思う。

そもそも、目標なんてものを持つから、
人は自由でいられなくなる。

だが、目標を達成するために、
必要以上に何かを犠牲にしたり、
あるいは我慢を続けたりするのは自分を傷つけるだけである。


by. 桜井章一氏

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もしかしたら、本当の自由というものは自分で自分を律する中にこそ、
あるのかもしれない。

我が人生を振り返ってみれば、
私はこのようなギャップ(アメリカのブッシュ元大統領と並んで私が紹介)をいつも楽しんで生きてきたような気がする。

私はそのような、
ひとつの立場に甘んじているような生き方を好まない。

私はあらゆる物事においてどちらかに偏っていないから、
きっと高価な椅子もボロボロの椅子も、
どちらに座っても差があるように見えないのかもしれない。


by. 桜井章一氏

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■修羅場が人を磨く -宝島社- 世の中には生まれてから死ぬまで、ずっとダメな人だっている。何も得られない、わずかな食料さえも得られない...

要するに私には”定位置”
というものがないのだ。

立場を守るために体裁を気にし、
自分を取り繕い、
「落ちるのは嫌だ」
と何かに必死にしがみついている。

自分のほうから平気で立場を変えられれば、
少なくとも役職や権力を保持しなければならない苦しみからは解放される。

だから私は世の社長さんや権力者たちが絶対にしないような
“くだらないこと”を平気でする。


by. 桜井章一氏

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世間一般では”くだらないこと”
はイコール”価値のないこと”
とみなされる。

私は自分にとって”大切なもの”
のために動くこともあれば、
自分にとってあまり大切でない、
あるいは自分にとってくだらなく感じるようなことであっても、
それが誰かにとって大切なものであるならば、
「これはやってあげないといけないかな」
と動く時もある。

そもそも、今の世の中で”いい”
とされるものの中に一体いくつ、
本当に”いいもの”があるのだろうか?

実は”くだらない”とされるものの中にこそ、
人生のためになること、
楽しくなることが山ほどあることを、
私は実感として知っている。


by. 桜井章一氏

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世の中で”いい”とされている事物だけに囚われず、
また、定位置にこだわらず、
いいもの、くだらないもの、
すべてのギャップを味わいながら楽しむ。

それが本当の人生の楽しみ方なのではないだろうか。

学問には”正解”という明確な答えがあるが、
現実の世界、人生にはなかなか答えが見つからない難問がゴロゴロと転がっている。

私がそういった難問でお悩みの方々に声をかけるとすれば
「その難問からはしばらく離れて、別のことをすれば?」
と言うだろう。


by. 桜井章一氏

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■結果を出す技術 -宝島社- だから私は約束を自分とするのである。人間の強さは枠の中では育まれない。肝心なのは、何かに「とらわれている...

答えがなかなか出ない、
がんばっても成果が出ないということは、
その問題、課題は自分に合っていないということでもある。

答えの出ない難問に取り組むということは、
決して報われることのない恋愛に夢中になってしまっているようなものなのだ。

本人にはまったく合っていないのに
「それが合っているよ」と教えるのが、
現代の教育であったり、
世の常識と呼ばれるものなのかもしれない。

人間の基本的な「合う」「合わない」
を選び取る感覚が狂ってしまっている人が、
いろんな問題にぶつかって悩んでしまうのはある意味、
当然のことなのだ。


by. 桜井章一氏

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答えを得ることができず、
悩んでいる人たちの多くは
「答えが出ないのは自分の努力がたりないからだ」
と考える。

だから、合わない努力を続け、
さらに悩み、
迷宮の奥深くへと迷い込んでいってしまうのである。

「成長していくこと」
「伸びていくこと」
「大きくなっていくこと」
「高みへと上っていくこと」。

そういったことを
「いいことだ」と教わり、
信じている人は、今一度、
本当にそれらがいいことなのかどうか、
考えてみてはどうだろうか。


by. 桜井章一氏

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成長しなくたっていいこと、
正しいことはこの世の中にいくらでもある。

伸びていかなくても楽しいこと、
面白いこともたくさんある。

狂ってしまった「合う、合わない」
を選び取るセンサーを整えるには、
「好き、嫌い」「楽しい、つまらない」
といった日々の基本的な選択を本能に則って繰り返し繰り返し続けていくしかない。

もしかしたら、楽しいこと、面白いことは
“厳しさ”の中に転がっているかもしれない。


by. 桜井章一氏

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