■わが遺言 ~勝負の鬼が辿りついた50の境地~ -ポプラ社-
もともと、私は人の”考え方”より”動き方”に興味を持っていろんな人たちと接してきた。頭の回転の速い人は、すなわちチャンスを逃さない「機を見るに敏」な人なのである
料理を作るのは好きだが、
皿洗いが億劫でしょうがない。
そんな人は、「皿洗いも料理の一環だ」
と思うようにしてみたらどうだろうか。
すべての物事は「準備、実行、後始末」
のサイクルの上に成り立っており、
どれかひとつでも疎かにすればその流れが循環しなくなり物事は成り立たない。
みなさんは調理と食事、
そして皿洗いを分けて考えてしまっているかもしれないが、
実は調理も食事も皿洗いも、
同じサイクルの中に存在する作業といっていい。
by. 桜井章一氏
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ひとつでも疎かにすれば、
楽しい食事のひとときは決して生まれないのだ。
「皿洗いは、みんなで楽しく食事をするための作業」
「準備、実行、後始末」
はいろんなことに通じる基本概念なのである。
だが、私の考える大悪人とはそういった殺人犯ではなく、
善人面して裏では何をしているか分からない世界中の政治家たちや戦争、
紛争の類を起こしている独裁者や首魁たちである。
by. 桜井章一氏
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強大な権力を持ち、
民をいかようにも操ることのできるこいつらに比べれば、
大抵の犯罪者など小悪人といっていい。
江戸時代、敵討ちは制度化されていたという。
江戸時代の敵討ちに相当する今の法律は、
死刑制度である。
私は頭ごなしに死刑制度に反対はしないが
“冤罪”の可能性を排除できない以上、
諸手を挙げて賛成というわけにもいかない。
by. 桜井章一氏
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復讐という感情は一度囚われると、
どんどん強くなっていくものだ。
そうならないためには、
復讐を考える時間を減らす工夫をすることである。
仕事に打ち込んだり、
楽しいことを考えたり、
復讐のことを思わなくていい時間をたくさんつくっていくことが肝心だ。
たとえば、私が思う「復讐」
に近い言葉として
「恨み」「妬み」「僻み」「怨念」「嫉み」
などがある。
by. 桜井章一氏
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要するに復讐心に近いマイナスの感情は、
誰もが多かれ少なかれ持ち合わせている。
肝心なのはその感情の色合いをどれだけ薄められるか、
あるいは他の感情に変換できるか、
切り替えられるかなのだ。
「復讐」という極度にマイナスな感情に囚われないようにするには、
「自分はもしかして少し妬んでいるんじゃないか?」
「僻んでいるんじゃないか?」などと、
もうちょっとライトな言葉に自分の状態を還元し、
ものの捉え方、
考え方を変えていくことも大切だろう。
もし過去の偉人に会えるのであれば、
私は宮本武蔵に会ってその動きをこの目で見てみたい。
by. 桜井章一氏
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世に名を残す伝説の剣豪がどのような体捌きをしていたのか、
私は非常に興味がある。
もともと、私は人の”考え方”より”動き方”
に興味を持っていろんな人たちと接してきた。
相撲では、立合いから相手のまわしをうまく掴み、
いかに自分の有利は体勢になるように持っていくかが重要視される。
そんなこともあって相撲を見ている人たちも力士の上半身、
とくに腕の動きに注目しているようなところがあるが、
実際に注目しなければならないのは足の運び方である。
by. 桜井章一氏
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足の捌き方ひとつで、
まわしも取れるし、
相手の動きを封じ込むこともできるのだ。
雀鬼会では思考法を正すために、
まずは正しい動き方を教える。
麻雀の基本動作である「牌を捨てる」
という動きひとつ取ってみても、
ヒジが張り出していたり、
肩から腕にかけての動きが不自然だったり、
手首に変な力みが入ってしまっていたりと、
スムースな動き、
自然な動きのできていない道場生がほとんどである。
だから私はまず、
彼らの動きを修正する。
by. 桜井章一氏
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それを繰り返し、繰り返しやっていくことで思考にも少しずつ変化が表れる。
日常の動作を柔らかく、
自然にしていくことで、
思考にも柔軟性や臨機応変さが生まれてくるはずである。
私の考えるまわしの取り方は「触れる」である。
スポーツの動きは反復練習で得られる動きである。
言ってみれば、力むことを続けて得られる動き。
by. 桜井章一氏
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動物本来の自然な動きは力みとは無縁であるから、
反復練習などでは決して得られない。
「まわしを掴む」という意識でいるから、
掴んだ瞬間に体中が力み、
柔軟性が奪われてしまう。
「まわしに触れる」程度の感覚でいれば、
そこに意識を置かずにすみ、
次の展開において臨機応変な対応も可能となるのだ。
相撲のまわしに限らず、
現代人は「何かを掴み取る」ことを第一に、
「必死に努力しなければ」
と力みまくって生きている。
by. 桜井章一氏
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何かを手に入れたいのであれば、
本来は「掴みにいく」のではなく、
「触ろう」くらいの感覚でいるのがベストである。
この世のものはすべて、
日々刻々と変化を続けている。
変化しないものなど、何もない。
その変化に対応しようと思ったら、
いちいち「掴む」ということを続けていてはとてもではないが間に合わない。
by. 桜井章一氏
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間に合わないことが続けば、
逃がすものは必然的に増えていくことになるだろう。
「掴む」というような力みの入った動作、
そして思考法はある意味、
全部嘘っぱちである。
そのくらいの感覚でいたほうが、
変化に富んだ世の中を生きていくにはちょうどいい。
気配りのできる人というのは、
やることなすこと、すべてにいつも
「いいおまけ」が付いている。
by. 桜井章一氏
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サービス精神のある人のやることは、
だいたいにおいて「いいおまけ」
が付いている。
自分は「いいおまけ」を配っているかな?
そんな風に日頃から気にかけて行動するのはとても大切なことだと思う。
では、一体どのような人が「頭の回転が速い」
と言われるのだろうか?
by. 桜井章一氏
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そこには思考のセンスのよさに加え、
考え方の”リズム”のよさ、
テンポのよさが大きくかかわっているように思う。
だから、「頭の回転の速い人」
と話していると会話が弾み、楽しい。
頭の回転の速い人の会話はテンポがいい。
お笑い芸人には頭の回転の速い人が揃っていることから分かるように、
一緒にいて楽しくユーモアのある人は、
周囲の変化に敏感で対応力にも優れている。
by. 桜井章一氏
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頭の回転の速い人は、
すなわちチャンスを逃さない
「機を見るに敏」な人なのである。
頭の回転の速い人は思考だけでなく、
体の動きも速い。
だから他の人が見落とすようなことにもふっと気付き、
周囲に素早く、さりげなく気配りができる。
「あの人は本当によく気が利くね」
と周囲から評される人は、
間違いなく頭の回転が速い人であろう。
by. 桜井章一氏
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自分のまわりの人たちを観察しながら、
今何をしてほしいのか、
あるいは何を言ったら喜んでくれるのかを探り、
それを行動に移していく。
そんなことを毎日続けていくことで最初はひとつしかできなかったことが、
いつしかふたつになり、
さらに経験を積むことで三つ、四つと増えていくはずである。
頭の回転の速さは、
こうした訓練によっても上げていくことが十分可能なのだ。
by. 桜井章一氏
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