集中することで意識は全体に広がり、ものごとの全体を捉えられるようになるものである。一体感がある人間は、相反するものを同時に出すことができる

■雀鬼流 無敵の勝負論 -青春出版社-

集中することで意識は全体に広がり、ものごとの全体を捉えられるようになるものである。一体感がある人間は、相反するものを同時に出すことができる

雀鬼流麻雀は打つ中に意味を見出し納得感を生み出していく麻雀だ。

公私の意味も、
あるいは存在すら意識しない人は、
勝負と称して単に身勝手で自分の都合だけの私的な勝ちを漁っているのである。

私は道場の若い者に
「お前たちは勝つことよりも負けることの方が多いだろう。
だったら勝つことではなく負けることに意味を与えてみろ。
意味のあるかっこいい負け方ができるように打ってみろ」
と指導している。

格闘技の世界でも、
真の強者はただ勝ちという結果だけを求めて勝負の場に出てきはしない。


by. 桜井章一氏

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麻雀に向いた、
あるいは勝負に向いた才能や素質を上げろといわれれば、
まず必要なのは「はしっこさ」である。

麻雀にはリズムとテンポが大切だが、
はしっこい人間の方がリズムをつかみやすい。

また打つときには様々なことが気づかなければならないのだが、
はしっこい人間は早く気づき早く対応できる。

ものごとを早く決定できるのは決断力がある人間だ。


by. 桜井章一氏

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決断力は勝負に大切な要素だ。
瞬間に決めていくのが決断力。

早さの中に決断力が宿ってくるからである。

知識で物事をとらえても勝負には間に合わないということであろう。

素質には恵まれていなくても本当の努力をしている子には、
私は素直に感動させられる。


by. 桜井章一氏

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もちろんこれはただ打数を重ねることではなく、
日々の麻雀の修練の中に意味を見つける努力をしているということだ。

彼らは一つを見ると他の一つが見えなくなるのだ。

麻雀をトータルでとらえることができず、
部分化してしまうのである。

打てる人間は一瞬の中で数多くのものを感じ、
選び取っているわけだ。


by. 桜井章一氏

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これが集中力の違いだろう。
集中力というのは一点に凝縮しているものではない。

つまり小さなことにまで気づくようになるのが、
本当に集中している状態だろう。

集中することで意識は全体に広がり、
ものごとの全体を捉えられるようになるものである。

一点にのめり込んでいる状態は、
実は力んでいるだけであって、
本当の集中ができている時、
人は瞬間瞬間の変化が見えてくるものなのだ。


by. 桜井章一氏

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私にしてみれば、
麻雀に比べればトランプは簡単すぎるのだ。

麻雀には天運も地運も人運も加わる。

他の人間の動きに邪魔されたり、
私が入る前に打っていた人間に場を壊されたりしていて、
それを修正するところから始めなければならないことも多々ある。

私にはそれが面白いのだ。


by. 桜井章一氏

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トランプにはそういったトラブルや運を邪魔をされる要素がほとんどない。

私にしてみればほとんど丸見えの状態である。

麻雀にたとえると配牌を自分で選んで持ってきていいようなゲームだ。

ルーレットには機械の癖があって、
何度かに一回はその癖が現れてくるのだ。


by. 桜井章一氏

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「ギャンブルなんてやらないよ。
勝つからやらないってこともあるんだよ。
みんなは勝ちたいからやってるんだろうけど、
俺は勝つからやらないんだよ」
と、女房には答えておいた。

そしてその茶道の達人は、
「茶道は思想でも哲学でも、もちろん宗教でもないのです」
とおっしゃるのである。

「やはり心構えでしょうか」
と私が言うと、
今度は先生が驚いて
「あなたもお茶をやってらっしゃるの?」
とおっしゃる。

作法や基本動作を規則や取り決めととらえているうちはまだまだなのだ。


by. 桜井章一氏

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■雀鬼流・人生道場 「強さの奥義」 -青春出版社- 素直な感性が、自然と一体化することを可能にするんだ。だからつねに百の力を出すために...

それを突き抜けたところに美意識が生まれてくる。

柔らかさと速さがあり、
動きにむだがない。

だが麻雀の本質とは何か、
麻雀は何によって成り立っているのかといえば、
それはアガリと振り込みである。

どちらか一方を欠いても、
それはもう麻雀というゲームではなくなってしまう。


by. 桜井章一氏

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麻雀においてはアガリは攻撃であり、
振り込みは守備である。

麻雀でもアガリと振り込み、
攻撃と受けが一体化したときに初めて意味を生み出すことができる。

両方を兼ね備えたときに本当の強さが現れてくるのが麻雀なのである。

麻雀とは妙なもので、
負けるかもしれないと弱気で臨んだ時には負けるものだ。


by. 桜井章一氏

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負けると思う者はもちろん、
勝ちたいと思う者も負ける。

その理由(勝ち続けることができた)は、
私には「勝ちたい」「負けるかも」
という両方の気持ちともなかったからだ。

その両方がない人間には一体感がある。

一体感を持って勝負に臨んだ結果、
私が勝ったというよりは、
勝ちたい者と負けると思う者が負けていっただけなのである。


by. 桜井章一氏

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一体感がある人間は、
相反するものを同時に出すことができる。

私は4人の子の父親だが、
子どもを育てていくためには男親であると同時に女親の感覚を持っていなければならないと思う。

もちろん親父が女っぽくなれということではなく、
子どもに対しては男女両方の愛情が必要になってくるのだ。

カメの動作に自分を合わせ、
一体化させながら近づいていく。


by. 桜井章一氏

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それはウミガメが私に違和感を感じなくなっているからだろう。

アガリにも、そして振り込みに対しても、
自分から近づいていくという感覚を持てないからだ。

しかし麻雀では振り込みを恐れオリてしまうからこそダメージが大きくなってしまうのだ。

偏りというのは傾きであり、
傾きが過ぎれば倒れてしまうだけである。


by. 桜井章一氏

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勝負において傾く、
倒れるというすなわち負けなのだ。

心身ともに倒れないようにするためには傾きをなくす。
傾きをなくすにはバランスをとる。

つまりアガリと振り込みをバランスよく行っていくということだ。

振り込みだけを求めるのもアガリだけを求めるのも、
バランスを崩す元なのである。


by. 桜井章一氏

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