■神頼みを捨てる思考力 ~心の弱さを克服する、雀鬼流「裏」聖書~ -ワニブックス-
目の前で起きていることはすでに済んでしまったこと。そんなものを見る必要はない。麻雀をしている時、私はどうしているのかというと、すーっと水平線を見るような感覚に自分を置いている
麻雀ではほとんどの人が捨てられて牌にばかり目をやっている。
まわりの変化に気付くには、
もっとふわっとした感覚で場を捉えることが肝心だ。
目の前にあるものを睨んだり、
凝視したりするのではなく、
ふわっとした感覚で全体を捉える。
そうすることで五感の働きも活かされてくるのである。
by. 桜井章一氏
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川の急な流れに流された時も、
ふわっと浮いているような感覚でいたほうが流れに乗ることができる。
そこで流れに逆らったり、
力を入れて泳ごうとすると逆に溺れることになってしまう。
魚も鳥も、
人間には及びつかないような長い距離を移動できるのは、
彼らが潮流や気流に乗って移動しているからである。
潮流も気流も目には見えない。
by. 桜井章一氏
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しかし鳥も魚も自然界の見えない流れを捉え、
それに乗ることができる。
鳥や魚たちと同様に、
自然界に近いところで生き、
五感を大切にしていれば、
そういった流れは感じ取れるようになる。
月が海面を照らすと、
海の上を歩けるかのような明るい道ができる。
あの月明かりの道は誰にでも見えるものだが、
潮の流れも感覚としてはあんな感じである。
by. 桜井章一氏
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うっすらと、海面に道のような流れが見えるのだ。
麻雀でも、海でも、
私には他の人には見えないものが見える。
見えるというより、
感じることができる。
多分それは、
私がひとつのことに囚われていないからである。
by. 桜井章一氏
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目の前で起きていることはすでに済んでしまったこと。
麻雀で他の人が捨てた牌を見ても、
それはもう済んでしまったことを確認しているだけ。
そんなものを見る必要はない。
麻雀をしている時、
私はどうしているのかというと、
すーっと水平線を見るような感覚に自分を置いている。
by. 桜井章一氏
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そうするとまわりの流れが見えてくる。
五感でいろんなことを感じることができるようになる。
雀卓という狭い空間にいるのだけれども、
遠くを見るような感覚を持つと不思議と全体が見えてくるのである。
私が代打ちの頃にしていた麻雀は雀卓だけを見ているだけでは勝負にならなかった。
by. 桜井章一氏
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どこにどんな仕掛けがしてあるか分からない。
誰がどんな罠や策略を仕掛けてくるかも分からない。
そういった仕掛けに気付かなければ、
負けてしまうのが代打ちの戦いだった。
幾重にも張りめぐらされた仕掛けに気付くには、
自分の五感を360度、
すべてに向けておく必要がある。
by. 桜井章一氏
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雀卓の上で勝負しているようで、
実はもっと別のところで勝負していた。
そんな戦いを続けてきたからこそ、
私は見えないものを見る力を磨くことができたのだ。
ピンチに陥った時にテクニックでどうにかしようとしてしまうのも、
弱い人間のすることだ。
弱いからこそ技術を持ち、
それを使う。
by. 桜井章一氏
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でも小手先だけのテクニックをいくら身に付けても本当の強さは身に付かない。
狡賢い麻雀、あくどい麻雀、
そういったものと対峙することで私は物事には裏と表があり、
裏から見た方が物事の本質がよく見えることに気がついた。
表側だけで見ていると何も見えないのに、
裏側に回ればいろんなことが手に取るように分かる。
“運”を感じることができるようになったのも、
物事を裏側から見るようになってからだった。
by. 桜井章一氏
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表、裏のない人間はいない。
誰にでも表と裏はあるのだから、
本当はその両方を見せて生きていけばいい。
しかし「本音と建前」
という言葉もあるように、
ほとんどの人は建前である表側の部分だけ見せ、
裏である本音の部分は隠したままだ。
世間の人たちはそのような事件が報道されると
「教師なのに」「警官なのに」
と避難するが、
自分でもそのように隠したり、
我慢したりしている部分がないかよく考えてみるべきだ。
by. 桜井章一氏
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権力を持つ一部の人間たちは一般の人たちのことなどこれっぽっちも考えていない。
彼らは一般人を犠牲にして、
自分の利益を増やすことしか考えていない。
建前に騙されず、
本音を見抜くには自分の感じる力を磨き、
“違和感”に気付くようにしていくしか方法はない。
その表側の違和感に気付けるか気付けないかが鍵なのだ。
by. 桜井章一氏
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人間は生きていること自体が闘争であって、
これはあらゆる生命に共通する宿命でもある。
人間はもちろん、
植物も動物も闘争することで命をつないでいる。
社会の仕組みを見れば分かるのだが、
暴力はいけない、
力ずくはいけない、
と言っているのは一部の権力を持った人間である。
権力者たちがもっとも恐れているのは、
あのように民衆の闘争心が上に向くことである。
by. 桜井章一氏
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男には男の、
女には女の役割というものがある。
それぞれの役割を課せられた両者がうまく組み合うことで世の中のバランスは保たれる。
そのバランスが今は著しく欠けているように思うのだ。
男と女のそれぞれの役割、
それは”らしさ”と言ってもいいかもしれない。
by. 桜井章一氏
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もしかしたら、
昔の人たちは女性が権力を持つことの怖さを知っていたのかもしれない。
だからイスラム教のように、
“女性は隠す”
という風習が生まれたのではないだろうか。
男性にはある程度”納得感”
というものがあるのだが、
女性は納得感より”満足感”
を求める傾向が強い。
草食系男子を男性の女性化と捉えれば、
これからは不平、不満を抱えた男性が増え、
世の中全体が満足を求める方向にシフトしていくのかもしれず、
それは決していい流れとはいえないだろう。
by. 桜井章一氏
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