■神頼みを捨てる思考力 ~心の弱さを克服する、雀鬼流「裏」聖書~ -ワニブックス-
人間の”感じる力”の最も基本的なものは”違和感”である。人を危険な方向へと導いていくのは、外部的要因ではなく、その人自身が持っている固定観念によってではないだろうか
人間の”感じる力”
の最も基本的なものは
“違和感”である。
違和感というものは命を守る上で欠かせない感覚なのだ。
しかし自然と隔絶され、
間接的にしか物事を感じなくなってしまった人間はその違和感という感じる力を急速に失いつつある。
滝壺の中の水の流れは、
人間の力では到底抗えないような強力な力を持っていた。
by. 桜井章一氏
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その時に私が瞬間的にとった手段は、
流れに身を任せることだった。
強いうねりも底の方に行けば力が弱まる。
その弱まった瞬間に流れの外に飛び出し、
私は水面へと浮上した。
私の経験からいえることは、
危ない場面に出くわした時、
「あっちに行ったらもっと危ない」
という方に進んだ方が、
助かる確率が高まるということである。
by. 桜井章一氏
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それは決して私が選んだわけではなく、
体が自然にそちらの方に向かっていたのだ。
「沖に流されたら危険」。
そんな考えがあるから人は潮の流れに抗おうとする。
しかし脱出するには、
流れに身を任せて沖へと流されながら潮の流れから外れるしかない。
人を危険な方向へと導いていくのは、
外部的要因ではなく、
その人自身が持っている固定観念によってではないだろうか。
by. 桜井章一氏
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でも、そんな危険な遊びを繰り返していたからこそ、
本当に危険なものを見分ける力を身に付けることができた。
安全そうに見えるものほど気をつけた方がいいのは自然界も、
我々が生きる人間社会も同じなのだ。
「運命」に似た言葉で
「宿命」というものがあるが、
私は「宿命」は定められているから変えられないもの、
「運命」は変えられるものだと考えている。
母の子として生まれたのなら母を変えることはできない。
男として生まれたからには男として生きていく他ない。
by. 桜井章一氏
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これが「宿命」である。
学校の科目で考えると、
算数や数学のように答えの決まっているのが
「宿命」だといえる。
私は「運命」をこのように
「どうやってもいいよ」
「どう変えてもいいよ」
というものとして捉えている。
つまり人間は「宿命」
という変えられないものと、
「運命」という変えられるもの、
両方の中で生きているのである。
by. 桜井章一氏
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しかし「宿命」の反対側に、
変えられる「運命」
というものの存在も感じていれば、
そこに囚われずに自分を解放してやることができるのである。
これ(輪廻転生)も「運命」の延長線上にあるように思われるかもしれないが、
私にとって”死”は”無”を意味しているので、
人間が生まれ変わるとはとても思えない。
生まれ変わることができるのなら、
いつ死んだっていいはずである。
生まれ変わりなどないと思っているから、
みんな毎日必死に生きているのではないだろうか。
by. 桜井章一氏
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いや、たとえじっとしていても
「運命」は変わっていく。
それが「運命」というものである。
「運命」は変えたくなくても変わっていってしまうものなのだ。
力めば神経にも影響を与えるし、
結果にも悪い影響を及ぼす。
by. 桜井章一氏
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あるがまま、なすがままに、
風に舞うタンポポの種のように生きてきただけである。
「運命」は変えることができるが、
それを遡ることは誰にもできない。
なぜなら、老化というものは人間の
「宿命」であるからだ。
私の心を和ませてくれる
“音”は自然の奏でる音である。
by. 桜井章一氏
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川のせせらぎ、潮騒、
風に揺れる木々のざわめき、
そういった自然の音が私の体には一番波長が合っている。
自然の中で「感じる力」を大切にしてきたからか、
人工物によって生じる音には体が拒絶反応に近い症状を示すことがある。
どうやら私は人工物だけでなく、
現代社会が”便利”だとしてつくり出した人工的なものすべてが苦手なようだ。
終いには何度か試しているうちに手に激痛が走ったので、
そこでムダな挑戦は止めた。
by. 桜井章一氏
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だが、その手の痛みは翌日になってもまだ残っていた。
それほどまでに、
このライターは私にとっての
“違和感”だったのだ。
“力む”というのは私の体の使い方にはない力の入れ方である。
私は生き方も、
体の使い方も自然のままに、
流れるように、
フワフワとした感覚でやってきた。
by. 桜井章一氏
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「力」というのはどこか嘘っぽい。
力を誇示している人は嘘っぽく見えるし、
力んで何かを頑張ってやっている人もどこか嘘っぽい。
筋肉という鎧を身に纏っている人も嘘っぽく見えるし、
権力という力を振りかざしている人を見ても嘘っぽさを感じる。
「そんなに力を入れなくてもできるんじゃないの?」
というのが、
私が今までやってきたスタンスである。
by. 桜井章一氏
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慣れないこととをすると体に力が入ってしまうものであるが、
慣れてくれば段々とその力みも抜けていく。
その力みのない状態が本当の
“動き”であり、
自然な”体の使い方”なのだ。
人工的なものを使いこなすのも、
「一生懸命」と言いながら何でも力んでしまうのも、
自然からどんどの離れているということ。
それは人間のあるべき姿から遠ざかっているということでもあるのだ。
by. 桜井章一氏
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「土に還る」という言葉を私はよく用いるのだが、
自然界の生き物はすべて土から生まれ、
土に還っていく。
生物たちの始まりと終わり、
その根本が”土”にある。
大地の上に反自然的なものを並べているわけだから、
そこには当然”違和感”というものが存在する。
山間の森は木々の間にそれなりのスペースを保たなければその他の草木が育たず、
生態系にも大きな影響を及ぼす。
by. 桜井章一氏
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多様性がなければ自然をあるがままの状態で保つことはできない。
木々が痩せれば、
大地に張る根も痩せ細る。
その結果、大地に降った雨はそのまま川に流れ込んで洪水を起こし、
土砂崩れなども頻発するようになる。
このように山が荒れると、
その他にも多大な影響を及ぼす。
by. 桜井章一氏
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何より山が荒れれば海も荒れる。
山が荒れれば豊かだった海の生態系も大きく乱れ、
魚や海藻類の数も激減する。
どちらが母でどちらが父なのか、
それは私にも分からないが、
自然界はすべてが繋がり、
その相互関係によって生き物たちの
“生”が保たれているのだ。
by. 桜井章一氏
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