■神頼みを捨てる思考力 ~心の弱さを克服する、雀鬼流「裏」聖書~ -ワニブックス-
神という存在がなければ、人間はもっとナチュラルに、シンプルに物事を考えられたのではないかと思うのだ。運やツキが漂う中で、本能のまま、自然のままに生きているだけなのだ
神頼みは弱い人間のすることである。
といっても、
人は弱い存在であるから何かに頼ったり、
何かを支えにしたりしなければ生きていけないようなところがある。
そもそも「何かに頼って生きる」
という生き方自体が間違っているのではないか、
と感じている人もいるかもしれない。
社会の中で生きている限り、
人さまに迷惑をかけずに生きることなど誰にもできやしない。
by. 桜井章一氏
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頼ったり、頼られたり、
あるいは願ったり、願われたり。
そうやってバランスを取りながら生活することで人は倒れることも崩れることもなく、
人生を歩んでいける。
しかし確率論でいえば、
1000人願えばそのうちの2~3人は願いが叶ったりするものである。
誰しもの願いが叶うわけではないのに、
悲しいもので人はそのわずかな可能性に懸けてしまうようなところがある。
by. 桜井章一氏
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そうならないためには、
他者に願うのではなく自分自身に願う。
そう思う(原子力などなければよかった)のと同じように、
私は「”神”という存在もなかった方がよかった」
と思う時がある。
神という存在がなければ、
人間はもっとナチュラルに、
シンプルに物事を考えられたのではないかと思うのだ。
でも、宗教は自由を欲する人から自由を奪っているだけかもしれない。
by. 桜井章一氏
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政治によってつくられた社会の仕組みも、
企業も、教育も似たようなものである。
宗教も社会も、
いずれもその洗脳する力によって人々をコントロールしている。
物事を複雑化するのは、
誰かを騙そうとしているからかもしれない。
by. 桜井章一氏
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運やツキといったものは私だけでなく、
誰しものまわりをフワフワと漂い、
流れている。
そしてある時、
誰かにふいにペタッとくっついてくる。
このように、
運やツキはこちらから掴み取りにいくものではない。
掴み取ろうとすればウナギのようにスルッと逃げていってしまう。
by. 桜井章一氏
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つまり運やツキをものにするには、
自分にペタッとくっついてきた運やツキをいかに感じとるかにかかっている。
運やツキが漂う中で、
本能のまま、
自然のままに生きているだけなのだ。
神頼みで運やツキに恵まれ、
願い事が叶うのなら誰も苦労はしない。
運やツキに出会う確率を高めるには、
何よりもペタッとくっついてきた運を感じる力を高めることだ。
by. 桜井章一氏
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そのためには常日頃から、
“あるがまま”の自分でいることが大切な要素となってくる。
あるがまま、
感じるままに、
吹く風や流れる川のごとく、
いつも自然体でいることがとても大切だ。
素の状態で、
素肌の感覚を大切にして生きていれば、
くっついてきた運も感じることができるようになる。
しかし現代に生きる人の多くは
「人からよく見られたい」
「評価されたい」
という思いのままに、
“いい人”という化粧をし、
“知識”という鎧を纏って武装している。
by. 桜井章一氏
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そうやってスキンシップの感覚を身に付けていくことが、
運やツキといったものを感じるための第一歩となるのである。
人間には分からないからこそ、
知らないからこそできてしまうことがある。
簡単・難しい、
好き・嫌いといったものは自分の中に勝手につくってしまった固定観念であり、
そこに囚われてしまうことで多くの人は自分の可能性を狭めてしまっているのである。
人の体をパッと触って痛みをとってあげたりできるのも、
何でできるのか自分ではよく分からない。
by. 桜井章一氏
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行き詰まったり、
進むべき道を誤ったりした時に初心に戻ることはとても大切なことだ。
どんな人でも、
慣れてくるとどうしてもそこに、
気の弛みや甘えというものが生じてくる。
私がよく言う「土に還る」とは、
「初心忘るべからず」
という意味も含んでいる。
人は何事も最初のフラットな状態が一番自然で、
一番純粋である。
by. 桜井章一氏
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だから赤ん坊は人間の中で一番純粋で、
強い存在なのだ。
人間は成長していく過程で様々な欲や知識、
損得勘定という価値観などが入り込み、
その形を歪ませていく。
私がこの歳まで形を歪ませずにやってこられたのは、
「俺なんか何も知らない、分からない」
という感覚が常にあったからだと思う。
何ものにも縛られず、
自分が自由でいるには今の立ち位置で十分なのだ。
by. 桜井章一氏
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太陽は人間に恵みをもたらしてくれる最たるものであり、
宗教などなくとも太古の人々は自分たちにとって何が大切かを知っていたのである。
お天道様はすべての人を平等に照らす。
いいことをしようが、
悪いことをしようが、
すべての人に平等。
すべての人に平等なのは太陽だけでなく、
自然界そのものがそうであるといっていいだろう。
風も雨も嵐も、
いい人と悪い人で区別することはない。
by. 桜井章一氏
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世にいう”天運”とは、
そういうもので、
いいことをしようが悪いことをしようが関係なく訪れるものなのだ。
日本に生まれ育つのと、
アフリカのソマリアに生まれ育つのでは、
ありとあらゆることの環境がまったく違う。
これが天運である。
ソマリアの人たちは干ばつや内戦によって飢えや貧困に苦しんでいるように見えるが、
それは日本人の価値観で物事を捉えているからであって、
ソマリアの人たちの中には、
もしかしたら「それが普通」
と思っている人もいるかもしれない。
by. 桜井章一氏
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自然から切り離された現代社会の価値観は損得勘定がその根底にある。
何かを頑張るために、
何かを犠牲にする。
しかしそれを得るために
「何かを犠牲にする」
という考え方には賛同できない。
人間には相乗効果というものがあり、
何かひとつがよくなると他のこともよくなっていく場合が多々ある。
by. 桜井章一氏
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「成すために好きなことを犠牲にする」
のではなく、
「好きなことをして、その効果を成すべきことにも反映させる」
方がよほど前向きである。
その変化に対応するには
“転換”がうまくなければいけない。
そんな転換を学ぶためにも
「好きなことと成すべきことを同時に行う」
ことはとても大切なことだ。
転換の上手な人がうまく運に乗ることができるといっても過言ではないのだ。
by. 桜井章一氏
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