■神頼みを捨てる思考力 ~心の弱さを克服する、雀鬼流「裏」聖書~ -ワニブックス-
だから私はどんな悪人であっても否定しない。そのグレーを受け入れる柔軟性が人を強くしてくれるのだ。あえて言うならば、私の優しさは、優しさの裏側から入った優しさである
人類の歴史を紐解いてみると、
争いの発端に宗教が絡んでいる事例も少なくない。
信心を深めた人たちは自分の命すら惜しまない。
テロを肯定することはできないが、
「なぜテロが起こったのか」
を考えると、
イランやイラクを「悪の枢軸」
と決めつけた当時のブッシュ大統領のように、
どっちが善で、
どっちが悪と一刀両断にすることはできない。
彼(ウサマ・ビンラディン)はサウジアラビアの財閥の出である。
by. 桜井章一氏
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幼少の頃からエリート教育がなされ、
大学時代いは経済学を学ぶ一方で事前活動などにも積極的に参加していたと聞く。
これは私の推測でしかないが、
彼は「弱い人間」
に目がいったのではないかと思う。
強い立場にありながら、
弱い者に目がいき、
そこで強い立場や権力といったものに疑問を抱いた。
その結果、強い立場に安穏としている自分自身すらも許せなくなってしまったのかもしれない。
by. 桜井章一氏
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そんな彼の心の支え、
満たしてくれたのがイスラム教のコーランだったのだろう。
ビンラディンにしてもゲバラにしても、
彼らには強い意志があったはずである。
ただ、思い込みによって固められた強い意志は、
実は脆い。
本当に強い意志には柔軟性がある。
by. 桜井章一氏
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それぞれの分量の違いはあっても、
善悪両方を持っていることに変わりはない。
でも、凶悪事件の犯人も自分も同じ人間である。
だから私は自分の中にビンラディンもゲバラもいると思っている。
ブッシュやカストロだっている。
by. 桜井章一氏
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凶悪な事件の報道があったとしてもそれが他人事には思えない。
だから私はどんな悪人であっても否定しない。
なぜなら、それは誰しもの中にあるひとつの形だからである。
固定観念に囚われると、
すべてを白か黒かで判断しなければ気が済まなくなってしまう。
by. 桜井章一氏
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しかしこの世の中は、
白か黒かで判断できるものより、
どっちつかずのグレーの方が圧倒的に多い。
そのグレーを受け入れる柔軟性が人を強くしてくれるのだ。
私たちが見ているのはそんな世間の表側だけである。
建前という表ヅラだけで飾られているのが今の世の中であり、
ほとんどの人たちがその表だけを見て生きている。
by. 桜井章一氏
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人間も表だけを見せ、
前だけを見ている。
前から来るものは避けられるが、
後ろから来るものに対しては無防備である。
致命傷となるような大怪我をしたくないのであれば、
背中にも目を置くような感覚が必要だ。
社会の表ヅラには常識という化粧が施されている。
by. 桜井章一氏
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常識という”武装”
といってもいいかもしれない。
多くの人はそうやって化粧することや武装することで常識であると思っているから、
この社会には厚化粧した人、
鎧の重さで動きを鈍くしてしまった人などがあふれている。
どんなに化粧をしても本体が醜ければ醜いままだし、
どんなに武装しようと素の状態が弱ければ人間として弱いままである。
常識に囚われてしまった人たちはそれが分かっていない。
by. 桜井章一氏
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生きている限り、
あなたも私も、
動物たちもみんな排泄をする。
そんな当たり前の行為を恥ずかしく感じるのはちょっとおかしくないだろうか?
常識を知らないと恥ずかしい。
そんなことはまったくない。
むしろ「常識なんてクソ食らえ」
と思っているくらいが丁度いいのだ。
by. 桜井章一氏
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私は自分のことを善人だと思ったことなど一度もない。
世の中を見渡してみても、
ほとんどの人が善より悪の分量の方が多い。
それは4対6くらいのほぼ五分五分の比率ではなく、
2対8あるいは1対9くらいの、
圧倒的な差で悪の方が多いと感じている。
暴力団は”悪”を表に出すが、
一般人は”悪”を表には出さない。
by. 桜井章一氏
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暴力団と一般人の差はその程度のもので、
ともに”悪”を持っていることには変わりはない。
“悪”は人々の中にある欲や、
恐怖心を突くのがうまい。
旅館の女将に「おいしいね」
と言うと
「この山菜は厳しい冬を通り越してきたからおいしいんですよ」
と答えが返ってきた。
「そうか、厳しさを経ているから北国の食材は自分に合うんだ」と、
妙に納得できたことを覚えている。
by. 桜井章一氏
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厳しさが食材のおいしさを高めてくれるように、
人生における厳しさも人間性を高める上で欠かせないものである。
代打ち時代から私は常に自分に厳しさに晒して生きてきた。
あの頃の厳しい生活がなければ今の自分はなかっただろう。
よく言われることだが、
「人に優しく、自分に厳しく」
は人間の生き方として間違ってはいないと思う。
by. 桜井章一氏
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でも私はそこからさらに一歩踏み込んで
「自分に優しくなければ、人にも優しくできないのではないか」
と思うようになった。
自分で厳しさの中に入っていったはずなのに、
自分の中には優しさがちゃんと残っている。
厳しさの中に自分を置くことで、
自分自身の優しさに気付いた。
そう気付いてからは、
その優しさがあるから人にも優しくできるのだと思うようになった。
by. 桜井章一氏
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本当の厳しさと、
本当の優しさ。
それは「甘いのが悪い、厳しいのがいい」
というような単純な話ではない。
本当の厳しさには、
ちゃんと味わいがある。
あえて言うならば、
私の優しさは、
優しさの裏側から入った優しさである。
by. 桜井章一氏
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だから厳しさにも、
優しさにも味わいがある。
私は世間で言われている
“愛”や”優しさ”
などというものはまったく信じていない。
世の中の甘ったるく、
ぬるい言葉には常に疑いを持って接するようにしている。
厳しさを経ての優しさが大切なのであって、
ただ優しいだけの優しさは、
自分にも他人にもいい影響は及ぼさないのである。
by. 桜井章一氏
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