“自信”の裏側には”劣等感”というものが必ず潜んでいる。神も宗教も固定観念の最たるものである。自然というのは代償を決して求めない。そこに底知れぬ強さを私は感じる

■神頼みを捨てる思考力 ~心の弱さを克服する、雀鬼流「裏」聖書~ -ワニブックス-

“自信”の裏側には”劣等感”というものが必ず潜んでいる。神も宗教も固定観念の最たるものである。自然というのは代償を決して求めない。そこに底知れぬ強さを私は感じる

だから彼ら(動物たち)は必要以上のことは決してしない。

生命を保つために何らかの
“必要性”が存在し、
食物連鎖という相互間の中で彼らは生きている。

一方人間は相互間もなく、
自然界の中で孤立し、
欲望の赴くままに必要のないものまで必要としている。

必要な感覚があまりに強まれば、
それは”依存症”という形になって表れる。


by. 桜井章一氏

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血圧や血糖値に正常値があるように、
欲や依存に関しても、
自分なりの”正常値”
を持っておくことが大切である。

欲望を高め、
あらゆるものを吸収し、
限界を超えて大きくなることを、
今の社会では”成功”
と呼んだりする。

老子は『道徳経』の中で
「足るを知る」
という言葉を残しているが、
現代人にこそこの
「足るを知る」
感覚が必要なのではないだろうか。

しかし、私は40年以上ずっと麻雀界を否定して生きてきた。


by. 桜井章一氏

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麻雀界で当たり前とされることを否定し、
壊し、そして一から違うものをつくり上げる。

私はそういったことを繰り返すことで何が真実なのかを見極め、
物事の裏側に潜む”企み”
を見抜く力を身に付けてきたのである。

何かに気付いたり、
見抜いたり。

そういう力は物事を肯定するのではなく、
否定していくことで磨かれていく。


by. 桜井章一氏

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自分の属する業界を否定するということは、
自分を否定するということである。

自分のどこがいけないのか、
何がダメなのか?
それを探っていくことで物事の本質を見抜く力が徐々に磨かれていく。

自分を否定することで初めて自分のいいところを見つけることができるのに、
肯定ばかりを続けていては人としての成長は見込めない。

自分を肯定しすぎることなく、
だからといって否定しすぎることもない。


by. 桜井章一氏

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要はバランスが肝心なのだ。

私は自分に対しても、
誰かに対しても”半信半疑”
で丁度いいと思っている。

逆に、どんな時も半信半疑でいるからこそ、
その場、その場で臨機応変な対応がとれるようになる。

自分を信じすぎればそれは過信となるし、
必要のない力みを生むことにもなる。


by. 桜井章一氏

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“力む”とは固くなることでもあるから、
それでは柔軟かつ臨機応変な対応が取れなくなってしまう。

半信半疑の考え方は、
宗教のそれとは対極にある。

“自信”の裏側には”劣等感”
というものが必ず潜んでいる。

代打ちをしていた頃にも、
自信満々に見える相手は腐るほどいたが、
そんな相手ほど裏側に隠された劣等感をちょっと突つけばすぐに崩れていった。


by. 桜井章一氏

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半信半疑で生きてきた私の中には自信も不信もない。

あるとすれば信じることを否定する
“否信”かもしれない。

人はなぜ肯定し、
信用する生き方をしてしまうのか。

それは自分を固定したいからである。


by. 桜井章一氏

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この世に確かなものなど何ひとつないのに、
多くの人は安心したいが故に、
幻想ともいえる”確かなもの”を求めて生きている。

安心を求めるその行為が自分をどれだけ苦しめているのか、
なぜ気付かないのだろうか。

固定を求める気持ちは、
人の心を固くし、
やがてそれは固定観念になっていく。

現代は世の中のシステム自体に、
人々の持っている「安心・安全・安定」
思考を刺激する仕掛けが巧みに仕組まれている。


by. 桜井章一氏

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政治だけでなく、
自分の業界も否定して初めて物事は変わっていくのだ。

半信半疑の考え方が宗教とは対極に位置するように、
不安定の対極に位置するのが、
“神”であるといえるだろう。

神も宗教も固定観念の最たるものである。

不安でひび割れた心の隙間を埋めるために、
神という概念がつくり出されたのかもしれない。


by. 桜井章一氏

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“生命がある”ということはそれだけで不安定な状態であるし、
その生命を保つことにも常に不安が付きまとう。

だからこそ人間は確かなもの、
確証を求めたがる。

我々は誰もが必ず間違いを犯す。

だからこそ確かなものを求めれば息苦しくなる。


by. 桜井章一氏

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半信半疑こそが、
この社会にバランスをもたらす何よりの感覚なのである。

私は悪党である。

今まで生きてきた中で多くの人を傷つけてきたし、
何よりも自然に対しての罪深さを感じる。

何よりも自然界の生き物たちに比べて私の方がはるかに悪党だし、
生き物として劣っている。


by. 桜井章一氏

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だから私は”鬼”なのだ。

自然界を観察すればするほど
「自然はすごい」
「自然にはかなわない」
という思いを深める。

人間に恵みをもたらす雨や風も、
それがちょっと強さを増せば、
今度は人間社会に被害を及ぼす。

何事も適度がいいのであって、
限度を超えると害になる。


by. 桜井章一氏

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そんなことを自然は私たちに教えてくれている。

それなのに、人間は適度な感覚を忘れ、
限度を超えて大きくなること、
広がることを求めるようになってしまった。

自然というのは代償を決して求めない。
そこに底知れぬ強さを私は感じる。

ただ与えるのみで代償は決して求めない。


by. 桜井章一氏

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それが自然界の在り方であり、
人間が逆立ちしても及ばない強さなのである。

しかしそれ(自然)を擬人化してしまったこと、
人間にすり替えてしまったことで人類の
“罪”が始まったのかもしれない。

天照大神も太陽のままにしておけばよかったのだ。

自然を擬人化したことで罪つくりが始まり、
後世の人間たちが罪をさらに深めてしまった。

私にはそう思えて仕方がない。


by. 桜井章一氏

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