■神頼みを捨てる思考力 ~心の弱さを克服する、雀鬼流「裏」聖書~ -ワニブックス-
唯一あるとすれば”この世は不条理である”ということだろうか。自分を救うためには日頃から腹一分の感覚と、納得感を持って生きることが大切なのだ
「これは危険だから」と、
すべての危険から子どもを遠ざけてしまっては、
人しての”地力”が育っていかない。
世の中は「安心・安全」なものより、
危険なものの方がずっと多い。
知っておいた方がいい危険というものが現れたとしたら、
その危機感をまず私が先に感じ、
彼らに「ここは安心だよ」と示し、
そこに慣れさせてやることが私の務めだと思っている。
ある晩、みんなで花火をすることになったのだが、
孫は暗がりで遊んでいるうちに段々怖くなってきたのだろう。
by. 桜井章一氏
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「暗いところに誰かいる」
と言って私から離れなくなってしまった。
花火が終わり、
みんなで宿泊所にしている別荘に戻ると、
私は孫とふたりで再び表に出た。
孫は私にぴったりと寄り添い、
「幽霊が出るんじゃないか」
という恐怖心と戦っていた。
塚に辿り着くと、
私は孫に「一緒に中に入るか?」
と聞いてみた。
by. 桜井章一氏
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孫が「ここで待ってる」と言うので、
私はひとりで塚のまわりを一周し、
再び孫に
「幽霊はジイジが退治したからもう大丈夫。
一緒に行ってみるか?」
と聞いてみた。
私のことを誰よりも信用している。
そんな孫が
「大丈夫だよ、一緒に行こう」
と言ったので彼は安心したのだろう。
私と一緒に真っ暗な森の中へと歩を進め、
根付いてしまいそうだった恐怖心を彼は自らの力で払拭した。
by. 桜井章一氏
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恐怖心や危機感といったものは、
その気持ちを放置したり、
無視してしまうと心の奥底に根付いてしまうものである。
何かの危険が身に及んだとしたら、
あまり間を置かずに対処した方がいい。
そうしないと恐怖というものが心に根付いてしまう。
以前、知り合いの親子と川に遊びに行った際も、
そこの小学生兄弟が川に流されてしまうことがあった。
by. 桜井章一氏
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しかし私は間髪入れずふたりを元いた場所まで連れていき、
彼らの手を取って
「さあ、もう一回行くぞ!」と言った。
しかし「大丈夫、俺が付いているから」と言い、
半ば無理矢理ふたりを連れ、
3人一緒に川流れの中に入っていった。
「何もしないで浮いていれば大丈夫」。
その通りにしたふたりは、
今度は溺れることなく川を泳ぎきった。
by. 桜井章一氏
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それからはまるでお風呂で遊んでいるかのように兄弟ふたりで川に浮かんだり泳いだり。
彼らも自分たちの力で一瞬にして恐怖心を克服してしまったのである。
そう考えると、
恐怖というものは、
そのほとんどが「目の前にある」
存在だといっていいだろう。
壁のように目の前に立ちはだかり、
向こう側を見えなくしてしまっている。
by. 桜井章一氏
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だからこそ、人は先の見えない恐怖によって目の前の壁の前で足踏みしてしまうのである。
最初の一歩さえ踏み込めれば、
恐怖心なんてものは大したことのないことが分かるはずだ。
恐怖心を生み出しているのは他人でも他の状況や環境でもなく、
自分自身である。
最初の一歩を踏み出してしまえば、
その恐怖は恐怖ではなくなるのだ。
by. 桜井章一氏
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しかし私は勝負にも、
自分人生にも哲学なんぞは持ったことがない。
唯一あるとすれば”この世は不条理である”
ということだろうか。
神という存在があって、
善という存在もあるのならば、
なぜ人間の歴史はここまで不条理を積み重ねてきたのか。
この世にあるのは善とか悪とかそんなものでは割り切れぬ不条理だけではないのか。
by. 桜井章一氏
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しかし今では神父様の前で結婚を誓い、
クリスマスだかrといって街をきらびやかに彩っている。
これは明らかに不条理の世界である。
人間は卑怯な生き物であるから、
世界が不条理に染まるのもしょうがないことなのかもしれない。
「誰かの役に立つかな?」
という発想があれば世の中ももっとよくなっていくのだろうが、
大多数の人が持っている価値観は
「損しないかな?」である。
by. 桜井章一氏
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大学を優秀な成績で卒業したエリートならば、
優良企業に入るのではなく、
ダメな会社に入るべきだ。
そしてそこで自分の才能を大いに発揮し、
ダメな会社を立ち直らせてあげればいい。
そういったことを実行しようと思えば、
かなり勇気を要するだろう。
しかし、不条理なこの世界では神や宗教ではなく、
本当はそのような人間が必要とされているように思う。
by. 桜井章一氏
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しかし私は誰かから「大好き」
と言われたら
「ちょっと待って。
その気持ち、半分でいいよ」
と思ってしまう。
それが私の感性なのだ。
私は何をするにしても、
“腹八分”どころか”腹一分”
くらいの感覚しかないので、
きっとそのように感じるのだろう。
そこで私日頃から道場生たちに
「専門家を目指すのではなく、”万能家”を目指しなさい」
と伝えている。
by. 桜井章一氏
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何かひとつのことにすべてを懸けてしまうと、
それがうまくいかなくなった時のダメージが大きい。
しかしそれを日頃から分散しておけば、
何かあっても「まだあっちがある」
と自分自身を助けることができる。
だから道場生たちに私は
「万能家であれ」
と言っているのだ。
物事に臨む姿勢や「欲」
といったものに対して、
いつも「お腹いっぱい」
の感覚でいるとどうしても思考や行動がひとつの物事に偏りやすくなる。
by. 桜井章一氏
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「勉強ができる」
「テストでいい点が取れる」。
そんな専門家をたくさん育てているのが今の教育の実体なのだ。
市場主義の現代社会は
「誰よりも多くぶんどったものが勝ち」
という価値観に包まれている。
分捕り合戦を繰り広げている今の時代、
ほとんどの人が知らず知らずのうちに
“腹十二分”くらいの感覚になってしまっている。
by. 桜井章一氏
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現代社会では多くの人が自らの窮地に追い込むような生き方を選択してしまっているのだ。
腹一分で生きる私と、
腹十二分に染まってしまった現代社会の違い。
それは、「納得感」と「満足感」
の違いである。
常日頃から自分の生き方に納得しているからそれ以上を求めよう、
それを超えようという気持ちは起こらない。
by. 桜井章一氏
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満足感は言ってみれば底無し沼のような存在だ。
今の世の中を見渡すと、
満足を求める亡者のような人ばかりで、
私にはそんな人たちが満足感という底無し沼にはまってもがいているようにしか見えない。
不満、不足という喉の渇きが潤されることは決してない。
納得感を持っていれば、
自分にとって都合の悪いことでも
「まあ、しょうがない」
と納得することができる。
by. 桜井章一氏
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「自分のせいでこうなってしまった」
と受け止めることができれば、
次への一歩も踏み出しやすい。
(満足感)
受け付けられるのは都合のいいことだけ。
そうなると今度は都合の悪いことすべてを否定することになってしまう。
自分を救うことができるのは他人でも神でもなく、
自分自身である。
自分を救うためには日頃から腹一分の感覚と、
納得感を持って生きることが大切なのだ。
by. 桜井章一氏
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