■神頼みを捨てる思考力 ~心の弱さを克服する、雀鬼流「裏」聖書~ -ワニブックス-
今、精神の病となる人たちは非常識からではなく、常識から生まれている。「見切り」の上手な人は「冒険心」を持っている人である。頼ることが普通になってしまった現代人は、”人任せ”の世の中で生きている
誰の中にも善と悪が共存している。
違いがあるとすれば、
それは善と悪の分量の差だけでしかない。
「私はいいことをしている」。
そうやって行動の第一歩を踏み出したとしても、
歩を進めるごとにそこに悪が入り込んでくる。
by. 桜井章一氏
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その存在が大きくなればなるほど、
あるいは広がれば広がるほど悪というものが入り込みやすくなってくるのも事実である。
現代社会では「成長」や「向上」
がいいこととされるが、
成長も向上も悪抜きには成り立たない。
関係するたくさんの人間を犠牲にして大きくなったのかもしれない。
これは宗教が辿ってきた歴史ともとてもよく似ている。
by. 桜井章一氏
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言葉もしゃべれず、
ひとりでは何もできない幼児に
“悪”の部分はまったくない。
最初は「世のため人のため」、
よかれと思ってやっていたことが、
やがて悪の方向へ傾いていってしまうということはよくあることだ。
しかしその育て方があまりに偏っていると、
子どもは間違いなくバランスを欠いた大人になる。
善と悪だけでなく、
優しさと厳しさ、
楽しさと悲しさなど、
感情のバランスを欠いた人間になってしまうのだ。
by. 桜井章一氏
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善の部分しかないのであれば宗教戦争など起こるはずもない。
東南アジアを旅した時に見かけたのだが、
神と悪魔が表裏一体のものとして一緒に祀られている寺院があった。
しかし、私にはなぜか神と悪魔が一緒に祀られているほうがしっくりときた。
善と悪はこの世に生きている人、
誰もが持っているものなのだろう。
by. 桜井章一氏
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世の常識、ルール、
概念に囚われると精神のバランスをおかしくする。
今、精神の病となる人たちは非常識からではなく、
常識から生まれている。
(常識的な)彼が私の話を聞いてなぜ寝てしまうのか、
それは私にもよく分からない。
もしかしたら非常識な世界で生きる私の話を、
彼の本能が拒絶しているのかもしれない。
by. 桜井章一氏
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常識やルールなど、
世の中で当たり前とされているものの中には多分に
“勘違い”が含まれている。
宗教の経典にしても何世代にも読み継がれることで勘違いや誤解は当然生まれてくるだろう。
そうやって世の常識やルールといったものも、
形を変えながら続いてきたのだ。
そんな常識を常に疑い、
自分なりの形を保つことが大切なのだ。
by. 桜井章一氏
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この世の中には人間の心理を巧みに突いたトリックがいろんなところに仕掛けられている。
商売なども言ってみれば
「人をいかに騙すか」
を競い合っている世界である。
誰にも気付かれず、
法にも触れず、
巧みなトリックを考えついた人間がのし上がり、
大金や権力を手にできるのが今の世の中である。
トリックを考える狡賢いやつらはそんな人間の欲を巧みに突いてくる。
by. 桜井章一氏
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文明を発展させてきた
「楽をしたい」
という人間独特の思考も狡賢いやつらにとっては格好の獲物である。
人間社会はそんなことをずっと繰り返してきた。
この世で一番狡賢いやつらは永田町や霞が関あたりでウロウロしているのだから。
要は固定観念に囚われてしまっている人たちが増えているのである。
by. 桜井章一氏
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ある意味、
生きていれば心が固くなっていくのはしょうがないことでもあるのだが、
今の時代は若くして固定観念に囚われ、
心を固くしてしまっている人がとても多い。
「柔らかさ」というのは、
体だけでなく、
心にもとても大切なものだ。
心身に柔軟性を持ち合わせている人はいつまでも若々しい。
だから一度固定観念に囚われてしまうと、
人の心はどんどん固くなっていく。
by. 桜井章一氏
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そしてそれは”死”に近づいているということでもあるのだ。
固定観念を強めず、
自分の力で心を柔らかい状態に戻すには
「固定観念に囚われていないか」
と常に自問自答することが大切だ。
事あるごとに
「囚われているんじゃないか?」
と思えば、
それまで気付かなかったことにも気付けるようになるだろう。
その気付きが心を柔らかくしてくれるのである。
by. 桜井章一氏
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私は常々「物事は『準備・実行・後始末』が大切である」
と言っている。
この「準備・実行・後始末」がうまく回転していくことで、
人生もスムーズに流れていくようになる。
そして何よりも、
いつも準備が疎かな人は
「準備・実行・後始末」
がうまく回転せず、
仕事や日々の生活でも
「間に合わない」「できない」
ということが増えていくはずである。
このように見切り発車は人生にいい影響を及ぼすものではないが、
人生を生きていく上で「見切り」
というのはとても大切なものである。
by. 桜井章一氏
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「安心・安全」を求め、
自分の身に危険はないか、
損害を被ることはないか、
そういった問題がすべて食いリアされなければ見切ることができないので何事も後手、
後手にまわりやすい。
「見切り」の上手な人は
「冒険心」を持っている人である。
ちょっとリスクを感じても、
迷うことなく瞬時に見切ることができるから、
あらゆる物事にも間に合うようになる。
その上で、
自分の感覚にちょっとだけ冒険心を入れれば、
「見切り」が上手にできるようになるのだ。
by. 桜井章一氏
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「見切り」の力を磨くのは経験ではなくセンスである。
「見切り」のセンスを磨くのなら、
とにかく準備を丁寧に行った上で、
その後の決断は多少のリスクがあったとしても
「これだ!」と思った方を選ぶようにすればいい。
多少のリスクを楽しむ感覚を持たなければ、
人生は楽しくならないのだ。
金、システム、資格など、
現代社会には人間が思わず頼りたくなるもので満ちあふれている。
by. 桜井章一氏
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人間が何かに頼ってしまう原点には、
“病”というものが大きく関係している。
しかし、今は病にしろ何にしろ、
困ったらその道の専門家を頼る。
自分でどうにかしようという発想はほとんどない。
頼ることが普通になってしまった現代人は、
“人任せ”の世の中で生きている。
by. 桜井章一氏
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自分で何とかしようとせず、
何でも人任せ、
ほとんどの人がそんな状態だから、
世の中に不平や不満が増え続けている。
私は体に痛みが生じても自分自身でどうにか対処してきた。
あるのは「自分でどうにかしてやる」
という感覚だけ。
でも、私の中での頼るべき存在は専門家よりまず、
「自分」なのだ。
by. 桜井章一氏
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何でも人任せにするから不平、不満が生まれ、
それが争いにつながる。
頼ったり、願ったりして欲しいものを手に入れようとし、
それが無理だと分かると今度は力ずくで奪いに行く。
世界で繰り広げられている争いは、
そのような醜いものばかりだが、
それもこれも、
発端は頼るという人任せの発想なのだ。
by. 桜井章一氏
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