■雀鬼流。~桜井章一の極意と心得~ -三五館-
辛いこと、苦労から逃げないという日々の姿勢が、緊張に強い人間になる。高い山へ登りなさい
「私が眠っていたら、大会ができなくなる」と思うわけです。
このどしゃ降りが止まなければできないわけですが、
普通は翌朝の天候を見て、
大会をやろうかやるまいか、
です。
私はそうではなく、
晴れさせるんだ、
とでもいいますか、
「私がここで寝ないで天気をずっと見ていないと駄目だ」と思うわけです。
ですから、夜中じゅう起きていた。
by. 桜井章一氏
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家では、作業をしてくれている三人のための食事を作った。
私は自分が働いてる姿をみんなに見せるのが嫌で、
いったん家に帰り、
集まる時間に合わせて再び家を出たのです。
「この三人がグラウンドの水をかき出してくれたんだよ。
この子たちは偉かったよ」
と褒めてあげて、トコトンきめるのです。
そういうことをやっていますから、
ご褒美として、
私は連続四試合を完投完封したり、
打棒も火が吹くのです。
by. 桜井章一氏
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楽しみを作ってあげたい、
という気持ちがなければそういうことはできないのです。
ですからよく、
「桜井会長、奇跡つくるんですね」とか、
「スーパースターですね」とかいわれますが、
そういうものは待ってるものではなく、
それをつくるための何かをやっているんです。
楽しみというのは、
参加するだけではなくて、
自分で他人のために作ってあげなければいけない。
by. 桜井章一氏
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一番いいのが、
楽しみを作る人なんです。
「愛」の場合もそうです。
「愛」はなおさら、
作らないと、
育まないといけない。
「愛」があるから参加する、
ではだめなのです。
by. 桜井章一氏
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世間でいう、
経済力があるかないかの視点から見るのではなく、
どれくらい人様の面倒を見れるか、
それが真の意味での甲斐性です。
面倒を見るということが人として一番大事なことだと思います。
物書きであれば、
読者に向かって、
「もうすこし教養を高めなさいよ」というのではなく、
困っている人の面倒を見てあげられるようなことを書けばいいのです。
by. 桜井章一氏
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昔の江戸っ子気質は、
たしか面倒見の良さでした。
昔あった、
「弱気を助け、強きを挫く」という発想のほうが、
健全だと思う。
差異を認めたくないから、
「平等」を強調するようになってしまう。
しかし、「平等」という言葉を美化しすぎ、
主張しすぎて、
「不平等」に目をつぶってしまうという結果を招き、
あげくの果てには、
あるがままのものを見るという、
見極める力を損なってしまっていることに気づいていない。
by. 桜井章一氏
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どちらか一方にウェイトを置いて、
つまり主観的に見るのではなく、
あって当然の個体差を認め、
あるがままを見ることで、
はじめて見極める力が身につくようになるのです。
運のある人とない人がいるように、
個体差はあって当たり前ですが、
そこを埋める努力をしなければいけないということです。
選ぶということも、
結婚も、
そこに差を見いだしているのです。
差があることを素直に認めきれないと、
見極める力が、
損なわれてしまうのです。
by. 桜井章一氏
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嫉妬心や私欲が、
あるがままのものを見られなくしてしまう。
「信じる」とは、とてもいい言葉に見えますが、
疑ってみることから真実を見極めていくべきではなかろうか。
しかし、信じてしまうと考えなくなる。
ものごとを深く追求することは大変なことです。
なにごとも疑って考えることから始めないといけない。
by. 桜井章一氏
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信じることから入るのではなく、
疑ってみることから入らないと、
常識や知識や、
はたまたマスコミの情報、
親の言葉などに惑わされたりしてしまうのです。
これは猜疑心を強く持て、
他人を疑え、
ということではありません。
ものごとを自分の目でよく見るからこそ、
自分の答えが出せるようになるのです。
by. 桜井章一氏
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麻雀の場合でも、
対戦相手三人の態度を、
打ち方を疑って見ていますから、
いったいなにを狙っているのかを奥深く洞察することができる、
より注意深く見ることができるのです。
余裕があるかないかは別にして、
いつもつらく、
厳しいところへ己を置いていなければ、
本当の勝負に参加しているとはいえない。
簡単なことはつまらない。
自分を厳しいところに置いて、
緊張(プレッシャー)の中で生きるというのは、
快感でもある。
by. 桜井章一氏
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ただし、緊張しカーッとなったり、
頭の中が真っ白になったりしないように、
緊張に対応できる強い心を育まなければなりません。
そうなると逆に緊張によってふだんは出せない自分の潜在能力が引き出される。
つらいこと、
苦労から逃げないという日々の姿勢が、
緊張に強い人間になるための訓練なのです。
とはいえ、
自分の甘さや無謀さや弱気や必要以上の恐怖によって引き起こした苦境へ、
己を置く必要はないのです。
by. 桜井章一氏
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「雀鬼流」では、
高い山へ登りなさい、
と教えています。
上へ上がった人は、
一センチでもいいですから前へ進み、
壁を乗り越えて頂上までいかなくてはいけない。
プロというのは、
高い、空気がないところでも歩ける者のことをいうのです。
by. 桜井章一氏
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高い山を目指そうと思うなら、
軽装では間に合わず、
思いキャラバン靴や酸素吸入器なども必要になってくるのです。
人生という山を登ることの楽しみというものを、
わからなければなりません。
すぐ解けるようなクイズやゲームがつまらないのと同じで、
解くプロセスが大変であれば、
そのクイズが解けたときの喜びは大きいものなのです。
by. 桜井章一氏
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雀鬼会の麻雀は、
根本的には、
あったかさというものを優先しているのであって、
大変だ、
苦しいんだ、
ということが優先されているのではない。
高みに上げて、
登る喜び、
感動というのも教えていかないといけない。
今日、私にやられれば、
明日やるとき、楽なんですよ。
それを、今日私がいいかげんに相手をしたとしたら、
有頂天になったり、
明日の対局でもつらくなるんです。
by. 桜井章一氏
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