■雀鬼流。~桜井章一の極意と心得~ -三五館-
人は、学ぶ、知識を得ることで、正しいほうへいくとは限らない。間違えた人間になるケースが多い
それを変に脚色してはいけない。
天から与えられたままの形の依存心を持って大人になっていけばいいのに、
親の勝手な作為や思惑が入り込んできて、
グジャグジャの依存心になってしまう。
向こう岸まで子どもと一緒に海を泳ぐとします。
そんなとき、
子どもと助けあって海を泳ごうなどと考える大人はいません。
子どもの親への依存心を満たしてあげるだけ、
子どもを助けて泳ぐだけなんです。
by. 桜井章一氏
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一方、日常では親の子どもに対する依存心が、
子どもを駄目にしているという事実に気づかなければなりません。
子どもの、こうしたい、
ああなりたいという意志を、
親の思惑で歪めてしまっている。
親孝行を家族愛を強要してしまう。
依存心や執着心を子どもの頃に満足させてあげる、
やれるだけのことをやってあげていれば、
その子が大人になって自立できる頃には、
今度は満足を与える側になる。
by. 桜井章一氏
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自然の、
本能のままの依存心を満足させる部分を七〇パーセント、
残りの三〇パーセントで、
私の経験だとかを教えている。
世間のように、
教育しよう、
教育しようなどとはしていない。
甘えといっても、
自然な甘えと、
グズいって通してしまう甘えとは違います。
甘えは普通は甘やかしであって、
子どものグズに、
開き直りに負けてしまっている。
by. 桜井章一氏
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私がいいたいことは、
ただ単に甘やかしてしまうのではなく、
これはグズだとか、
これはかけひきであるとか、
そういうことを見極めながら、
素直な甘え、
本能のままの自然な甘えには十分応えてあげるべきだ、
ということなのです。
子どもの甘えを見極めるためには、
親のほうは、
つねに子どもを観察していなければならない。
ごまかしや嘘や駆引を見抜かなければならない。
そのためには、
一歩下がって親として離れて見ることが必要ですし、
あるときは子どもの世界にどっぷりと浸かって遊んであげることも必要になってくる。
by. 桜井章一氏
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ですから、
子ども心を忘れてはいけませんし、
一歩下がるときは、
大人の感覚で見なくてはならない。
簡単なことではありませんが、
中に入り込むときと、
一歩下がらなければならないときの見極めといいますか、
その「間合い」を知らないといけない。
剣術と同じで、
ぶつかるときは、
相手の懐にしっかりと飛び込まないと切れない。
離れていては切れない。
by. 桜井章一氏
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心の中に悪臭が充満している大人たちが、
子どもたちをしつけ、
指導しようとしていること自体、
間違いです。
人は私も含めて、
大人になることで心の中に悪臭を残してしまうもののようです。
「数」だけを追求する、
損得を価値観としてしまったいまの学校教育や、
私たち親、
そんな大人たちに囲まれて育ってきた子どもたちにとっての救いの道は、
大人によって吹き込まれた心の悪臭を思いきって外へとさらけ出すか、
心の内部に隠し込むかの二とおりしかないのです。
子どもたちのあいだで起きたいじめ問題、
これは決して子どもたちの問題ではなく、
すべての大人たちの問題なのです。
by. 桜井章一氏
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実際、
いまの世の中で上に立っている人は、
政治家にしても大会社の経営者にしても、
他人を出し抜いて上へ上へと登って行った人たちであり、
成功者とされているのです。
大人の作る世間には、
欲望が渦巻き、
たくさんのいじめがはびこっている。
ですが、大人たちは、
世間とはそういうものなんですよと、
現実に妥協して、
これは仕方のないことだとしてしまっている。
子どもには、それがなんとなくわかるのです。
by. 桜井章一氏
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いじめ問題を家庭や学校や子どもの世界に持ち込んでいるのは大人です。
もともと子どもたちの心には、
悪臭などなかったのです。
大人たちが、
子どもたちの心の中にまで、
自分たちが放つ心の悪臭を吹き込んでいるのです。
誘惑に弱い子どもたちに育ててしまっています。
本当は、世間のそうした誘惑に負けない子に育てなければいけないのに逆になっている。
by. 桜井章一氏
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そうして大人たちは、
子どもたちのあいだに起きるいじめは良くないという。
そういいながらも、
悪いことを直すということをやらない。
大人たちは一様に、
いじめられない側にいくための努力をするだけです。
心のなかに、醜く臭い、
目には見えない悪臭が充満している大人たちが、
その事実に気づかぬままに、
子どもたちをしつけ、
指導しようとしていること自体、
間違いです。
by. 桜井章一氏
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誰でもいじめられるのは嫌ですから、
いじめられないために頑張ろうとする。
結果としていじめを本当になくそうとするのではなく、
努力して頑張っていじめる側に回る。
そういう構図です。
それは真の努力ではない。
いじめの原因について、
あれこれ能書きを並べ立てるまえに、
大人たち自らが、
もっと自分たちの心の問題に注目し心の歪みを改めなければ、
問題の本質は見えてこない。
心の強い人たちには決していじめなんて起きない。
by. 桜井章一氏
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雀鬼会には、
できるだけ組織化しない、
内部でのグループ化をしない、
という鉄則がある。
組織化されてなぜいけないかというと、
組織化されてくることで、
各人に保身の気持ちが働いたり、
指導が間違った方向へ行ってしまうこともあるのです。
各人には、それぞれに心や思考というものがあります。
そのそれぞれの心でものごとを解釈してしまいますから、
そのぶん間違えた方向へ進んでしまう可能性、
あるいは間違った指導方法が私には見えるのです。
by. 桜井章一氏
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人は、学ぶ、知識を得ることで、
正しいほうへいくとは限らない。
知恵になっていない知識が頭に入り込んできますと、
あるいは知識だけを磨こうとすると、
どうしても間違った方向へいってしまうことがある。
子どもは、いたって純粋な存在なんですね。
その子どもが大人になるに従い、
情報やいろんな知識を得ることで、
間違えた人間になるケースが多い。
by. 桜井章一氏
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自分のやっていることが、
指導方法が正しいかどうかということを、
いつも認識しながら指導していかないと、
ただ単なる押しつけに、
権力に物をいわせた導き方になってしまう。
とくに教えられている側がそれを正しいと思っているかどうかのチェックが大事です。
権力の力で、教え、
導いてしまうところに、
間違いが起こってしまう。
本当は、
教えられる側が教えていただきたいという気持ちになれるのが一番いい。
by. 桜井章一氏
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キリストでも仏陀でも、
偉い人はみんなそうだったと思いますが、
彼らの場合は、
周りの人たちのほうが、
「教えていただきたい」という気持ちで集まってきたと思う。
これに対し権力者は、
自分のほうから人を集めて教え込んでしまう。
そういう方法はいけない。
権力として指導してはいけない。
だから自分が学んだものを、
他人に与えるということは、
とても難しいことなのです。
教える側に相当な能力、
相当な見極めがあり、
かつ、きちんと教える側に主体性が確立されてないと、
大変なことになってしまう。
by. 桜井章一氏
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