■「勝負強い人間」になる52ヶ条 -三笠書房-
私は、どんなにイヤなことがあっても、それを楽しむことで乗り越えてきたし、人を楽しませ、自分を楽しく生きることが人生の意味だと思っている
不調だからといって自分のことに精一杯になってしまうと、
ますます自分が小さくなることを知っているからだ。
「きのうまでなら5万円持っていたから500円のオモチャぐらい俺が買ってやったのに、今は500円しかないから買えないな」
というのでは救いがない。
人を喜ばせる力があってこそ、
はじめて自立と言えるのである。
勝負においても、
自信を持つということは必要だが、
往々にしてそれは過信になる。
by. 桜井章一氏
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自信を持って望めるような準備ができたうえで、
自信を持つのは結構なことだが、
その準備もないのに、
景気づけのように自信を持っているとしたら、
それは過信でしかない。
私が「自信なんか持たなくていい」というのは、
「何か自信がないなあ……」という心構えも、
「俺は自信がある!」という心構えも、
どちらもいらないという意味である。
そもそも「自信」などということは、
頭の中になくてもいいのだ。
勝負においては、
自信よりもずっと大切なことがある。
by. 桜井章一氏
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それは、「不安をなくす」ということだ。
不安がなければ、
その人が勝負に臨む心の状態はよい。
不安がないということは、
裏を返せば「自信がある」ということだが、
不安さえなければ、
あえて「自信がある」などと言わなくてもいいはずだ。
つまり、「自信を持ちたい」
ということを目標にしていくのではなく、
「不安をなくす」ことを目標にすれば、
結果的に自信はつく。
by. 桜井章一氏
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自分の力もよくわからないのに、
自信だけ求めるから過信になる。
そんなニセモノの自信はいらないということを私は言っているのである。
不安をなくすにはどうすればいいか。
常日頃から「準備・実行・後始末」を怠りなくやっていれば、
不安なく勝負に臨めるはずである。
by. 桜井章一氏
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戦う人間がガッツを失ったら勝てるはずもない。
どんなにデータを集めてミーティングを重ねたとしても、
選手のガッツは育てられない。
根性のない人間は、
根がない草花と同じでまったくダメだと私は思っている。
根性論を否定する人は、
今風の若者気質に迎合しているだけで、
決して強くはなれないのだ。
by. 桜井章一氏
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ただし、ガッツが表に出てきて、
勢いで勝っている者は、
直線的な動きには強いが、
斜めや横、
曲線的な動きには弱い。
つまり、ちょっとした変化に弱い。
それは柔軟性がないからだ。
こういう人は、
勝負師としては非常に壊れやすい。
いいときはいいが、
ちょっとつまずくとガタッといくようなモロさがある。
by. 桜井章一氏
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根性は、科学と対極にある。
つまり、根性は非科学的だというわけである。
しかし、男には根性が必要だ。
根性がないヤツは強くもなれないし、
優しい人間にもなれない。
根性というのは、
字のとおり「根っこ」である。
by. 桜井章一氏
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木や草は、
この根があるから生きられる。
根がなければ、
水も栄養も補給することができない。
根が植物の命の根幹であるのと同じように、
人間にとって、
男にとって、
根性というのは生きる根幹なのだ。
根っ子は土の中にある。
表に出て見えるものではない。
by. 桜井章一氏
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生きる力を地面下からしっかりと支えている。
人間の根性も、
決して表に出して見せるようなものではない。
自分が強い人間であるために、
自分の中にしっかりと根を生やすように根性を持っていればいいのだ。
自分を支えるだけでなく、
周りの人間も育てていこう、
助けていこうという心もまた根性の中にあるものなのだ。
by. 桜井章一氏
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人に見えるのは「花」だが、
それは何の役にも立たない。
スポーツで言えば、
どんなに優れた科学トレーニングを消化しても、
その選手に根性がなければそのトレーニングは役に立たない。
自分が強い選手になろうとして科学トレーニングをしようというのなら、
強さの支えとなる根性なしには戦う場所で力を出すことなどできっこないのだ。
スポーツでも他のことでも、
根性がダサいのではなく、
根性を花のように人に見せることがダサいのだ。
by. 桜井章一氏
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根がないところに木や草が生えないように、
根性がないところには強い人間は育たない。
運がいい人、
ツキがある人というのは、
いつもニコニコしている。
運が悪い人、
ツキがない人というのは、
いつもムスッとしている。
いつもハッピーで前向きに生きているから運がついてきて、
いつも不平不満を言って悲観的に生きているから運に見離されているのか。
by. 桜井章一氏
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長く勝負の裏表を見て、
運がある人間とない人間を見てきた私の実感から言えば、
明らかに答えは後者(いつもハッピーで前向きに生きているから運がついてきて…)であろう。
人は明るく楽しく生きようとしていれば運も向いてくるし、
明るく楽しい人生にできる。
反対に、
悲観的で他人をうらやんだり恨みながら生きていると運もこないし、
暗い人生になってしまう。
楽しければ、
それでいいじゃないか――。
by. 桜井章一氏
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そういう人生観を日本人はあまり評価しない。
苦労が多く、
悩みが多く、
さまざまなものを背負い、
難しいことを考えて、
難しいことを深刻そうにしゃべる人が高等だと思っているところがある。
私は、どんなにイヤなことがあっても、
それを楽しむことで乗り越えてきたし、
人を楽しませ、
自分を楽しく行きることが人生の意味だと思っている。
何でもかんでも批判したり、
マイナス要素をあげつらって語る人が多くなっている。
by. 桜井章一氏
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これでは、
チャンスがきたとき、
それに乗っていけない。
巡ってきたチャンスに同化しやすい人というのは、
いつも楽しい気分を失わず、
自分が生きていることに感謝し、
幸せを感じられる人なのだ。
どんな小さなことでもいい。
目の前にあることや、
自分の置かれた状況を素直に喜べる人には、
いつか必ず運が巡ってくる。
by. 桜井章一氏
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