■「頑張らない」から上手くいく -講談社-
でも最終的には頑張らずとも、あるいは力まずともできるようになるのが一番望ましい状態です。話の最後に「気にするな、大丈夫だよ」と言ってやるのです
そうしたもの(正しくないことや、負のもの)に対してちゃんとした判断ができなければ、
それらはやがて人の血に入り込んできます。
子どもに、いい人、
優しい人になってほしいと願うのであれば、
親はなぜそう願うのか、
その深い意味を今一度見つめてみるといいと思います。
お調子者の「調子」は、
「手拍子」と言ってもいいものです。
それがまわりのリズムとぴったりと合っていれば、
その調子は周囲を活性化させる力となります。
by. 桜井章一氏
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問題なのは、
その調子がちょっと外れてしまっている場合です。
つまり、お調子者を考える場合、
その善し悪しでなく、
その調子がまわりと合っているのか、
合っていないのか、
そういう部分から捉えるべきなのです。
調子の外れていた子も、
そういった修正を続けていくことでやがて周囲のリズムと合うようになっています。
人生を歩んでいく上では、
消極的な生き方より積極的な生き方のほうがもちろん望ましいですから、
大人は少々調子外れな子がいたとしてもその積極性は買ってやるべきです。
by. 桜井章一氏
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ただ、お調子者の積極性には、
狡賢さ悪さといったものが入り込みやすくもあります。
それは料理の味を調えるのにも似ています。
「ちょっと甘すぎない?」
「ちょっとしょっぱいんじゃない?」
というように、
子ども一人ひとりを味わいながら、
味を調えていってあげればいいのです。
by. 桜井章一氏
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私は、今まであんまり頑張ってこなかった子に対しては、
頑張るという「おにぎり」をもうちょっと食べたほうがいいよ、
と教えますが、
頑張りすぎて疲れてしまっている子に対しては今まで以上の頑張りを求めるようなことはしません。
そもそも人間というのは頑張らないと伸びるものも伸びません、
何事も最初のとっかかりは、
「頑張る」というところから始まるのだと思っています。
でも最終的には頑張らずとも、
あるいは力まずともできるようになるのが一番望ましい状態です。
いつまでも「頑張る」ことを意識し、
力んだ状態では人間の可能性というものは広がっていかないのです。
by. 桜井章一氏
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私にも、何かをするにあたって最初の段階では「頑張ろう」という意識があります。
でもその「頑張り」をいつまでも続けるようなことは決してしません。
なぜなら、頑張ることばかりを追っかけ回していると、
結局はどこかが壊れたり、
おかしな方向へ進んでいってしまうことになるからです。
その(目の前に立ちはだかる)壁は頑張って越えることも大切ですが、
時には迂回したり、
あるいは来た道をちょっと戻ってみたりすることも大切なのです。
目の前に現れた壁に対し、
最初は頑張って向かっていく。
ある程度頑張ってクリアできたら、
その次は頑張らずに力を抜いて再度チャレンジする。
by. 桜井章一氏
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そんな風に壁を越えるにしても、
強弱をつけてやっていくことが肝心です。
もし、思春期の壁に立ち向かっている子どもがいたとしたら、
まわりの大人は頑張ってやる方法と頑張らないでやる方法のふたつがあるということを、
子どもに教えてあげればいいのです。
何回か潜ることを繰り返しているうちに、
「あ、思いっきり空気を吸うより、軽く吸ったほうが長く潜れるんだな」
と気づくことができます。
陸上にいる時でも、
息を無理に吸おうとしたら苦しくなります。
by. 桜井章一氏
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頑張るとは、つまりそういうことなのです。
頑張るが故に、
目標とすべきことができなくなってしまうのです。
ところが、必要以上に力まずに、軽く、
いつもよりちょっと多めに空気を吸うくらいの感覚でいると、
何事も楽に動けるようになります。
ただ、人間は息を無理に吸うような頑張り方をして、
頑張ることの苦しさや辛さ、
困難さというものも知ります。
by. 桜井章一氏
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そういったことを肌で知るのも人生においてとても大切なことです。
けれども、若い人が頑張っているのを見て、
まわりの大人が同じように頑張ってはいけません。
大人はそういう道をすでに卒業したわけですから、
頑張る方法を教えるのではなく、
どうやったら頑張らずに、
力を抜いた状態でできるかのヒントを教えてやるべきなのです。
でも世間では、
「頑張るのはいいことだよ」
「頑張らないとダメだよ、手に入らないよ」
と教えてしまう。
by. 桜井章一氏
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そこに子どもたちを大いに悩ます原因があるということに、
大人たちもそろそろ気づかなければならないと思います。
知識やテクニックを使う分野であれば、
努力はある程度報われると思います。
判断力や感覚といったものが必要とされる分野は、
努力して身につけることはできません。
それは努力ではなく「センス」の問題だからです。
by. 桜井章一氏
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センスは努力だけでなかなか磨かれるものではありません。
頑張ればセンスがよくなるというものではないのです。
もともと人間は、
「頑張る」ということに価値観を置いていなかったと私は考えています。
彼らの中にあったのは
「恵みをいただく」ことだけで、
「頑張って獲物を捕ろう!」
なんて思っていなかったはずなのです。
by. 桜井章一氏
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そうやって人類の歩みを考えてみると、
人間には「頑張る」という意識はそもそも必要なかったとも言えます。
「頑張れば豊かになれる」
「頑張れば欲しいものが手に入る」
そうやって人間は、
「頑張ること」がよしとされる社会を築き上げてきたのです。
今の社会は、
いろんな人が「頑張る」ことで作り上げてきた社会と言えます。
だから「頑張る」ということが体に染みついてしまい、
まるで挨拶か何かのように「頑張って」と言ってしまう。
by. 桜井章一氏
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しかしそうやって作り上げてきた今の社会は果たして「いい社会」でしょうか。
それは、頑張って作り上げてきたものが必ずしもいいものになるとは限らないということを示しているからだと思います。
頑張るとは「熱い」ということです。
頑張りすぎて熱くなりすぎた人は自分が火傷を負うだけでなく、
まわりの人にも火傷を負わせてしまいます。
by. 桜井章一氏
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でもそんなことを続けていたら人間はどこかで燃え尽きてしまいます。
ある程度どこかで冷めているような感覚を持つことも、
精神のバランスを保つ上で必要なのです。
でも、落ち込んだり、しょげたりしている人は、
頑張ってきたからこそ落ち込んでいるのです。
そんな人たちに「頑張って」
と言ってもそれはその人たちをさらに追い込むことになるだけです。
by. 桜井章一氏
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にもかかわらず、
人はそういう時に思わず
「頑張って」と言ってしまう。
その「頑張って」はもしかしたら自分に投げかけているものなのかもしれません。
無意識の範疇でしょうが、
相手の姿を見ながら「自分も頑張らなきゃな」
と思っている人も少なくないはずなのです。
私は、頑張りすぎて精神のバランスを崩している人に対しては「大丈夫だよ」
と声をかけてやるようにしています。
話の最後に「気にするな、大丈夫だよ」
と言ってやるのです。
大人は頑張りすぎた子どもたちに対して、
そうやって立ち直るためのサポートをしてやるべきなのです。
by. 桜井章一氏
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