真の強者とは、勝っても負けても格好いい人であり、勝負に緊迫感を持たせることのできる人である。それよりも自分にできることを精一杯やり、それを楽しめる人間こそが真の強者だろう

■雀鬼流 無敵の勝負論 -青春出版社-

真の強者とは、勝っても負けても格好いい人であり、勝負に緊迫感を持たせることのできる人である。それよりも自分にできることを精一杯やり、それを楽しめる人間こそが真の強者だろう

せっかく勝っても虚しさが広がってくるのだ。

なぜかと問われれば、
負けた人間の背後にあるものが見えるようになってきたからだ。

だが勝負人生を歩むにつれ、
負けた者の後ろにその奥さんや子どもの悲しみが見えてくるようになった。

勝負の負けが、
負けた人間だけではなく周りの人間を巻き込んだ悲しみを生み出しているのだ。


by. 桜井章一氏

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勝負に負けたり溺れたりして周囲に迷惑をかけたことなどなかった私だが、
私の母ずっと「麻雀なんてやめなさい」
と言っていた。

自分がギャンブルに興味がない人だったら、
麻雀なんて許せないと思う方が普通だろう。

麻雀の道を歩き始めた頃は、
私はそんなことには気づかないでいたのである。

次第に勝ちの裏側にある悲しみに気づくようになると、
私はようやく勝つことの意味を考えるようになった。


by. 桜井章一氏

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自分を負かすような人間に出会いたいという思い。

勝てば勝ったで周囲の人間を悲しませているという苦しみ。

そうしたものが積み重なるうち、
私は結局敗北を知らないまま、
自ら勝負の場から引退したのである。

麻雀が強かったため、
勝負をするうちに自然にどんどん上の方へ行ってしまっただけなのだ。


by. 桜井章一氏


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傍目にはまったく逆に見えるのかもしれないが、
過去の勝負の道も現在の麻雀道も、
私自身がやっていることには共通する部分が多いのだ。

勝負に意味と本質を求めるという点では、
両者が異質という感覚はない。

もちろん金を賭けるとか勝利を求めるという部分は大きく違うのだが、
雀鬼会を始める時にそれまでやってきたことを捨て去ってしまった結果、
逆にもっと大切なものを得られるようになったといえるだろう。

私はよく働いているつもりだし、
金に不自由しているわけでもない。


by. 桜井章一氏

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その上で金儲けやビジネスを否定するのでなければ、
それは負け犬の遠吠えでしかないのである。

私自身は野武士がいいと思っている。
それが私の感性なのだろう。

勝負をする人間には強さがなくてはならない。

真の強者とは、
勝っても負けても格好いい人であり、
勝負に緊迫感を持たせることのできる人である。


by. 桜井章一氏

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ただ勝ち続けたとしても、
それは勝ちという結果を残しただけで、
強いということにはならない。

勝ちにこだわりすぎて勝負に臨む人間は、
いつしか負けを恐れるようになる。

そしてひとたび負けてしまえば、
「もういやだ、やめてしまおう」
と挫けてしまうものなのだ。

何かを恐れている人間は決して強者ではない。


by. 桜井章一氏

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人間の強さは勝ちという結果にあるのではない。

それは勝ち負けを離れてものごとを一生懸命やるところにこそある。

目の前のやらねばならぬことを、
一つ一つ精一杯やるという気持ちが大切だし、
それが強さ表れなのだ。

勝ち続けた私よりも本質的な意味で強いのは、
負けても負けても立ち直って戦える人間だ。


by. 桜井章一氏

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勝ち負けは結果として後からついてくるだけのものだ。

それよりも自分にできることを精一杯やり、
それを楽しめる人間こそが真の強者だろう。

だから反対に負けを恐れる弱い人間は、
どんなことをしても勝とうとするものだ。

弱虫が上の立場に立って世の中を牛耳っているから、
今の社会は悪い社会になってしまうのだ。


by. 桜井章一氏

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■ 図解 雀鬼流「運に選ばれる」法則76 ―運とツキに好かれる人になる -宝島社- 己を知るのは実に難しい。「満足」は人の目に影響され...

戦争なのだから勝たなければ意味がない。
なんとしても勝ち抜けというわけだ。

本物の戦争が悪いものならば
「〇〇戦争」だってよくないに決まっている。

考えてみると、
世の中で初めて戦争に勝ったのは神様である。

神話の世界では、
神様は敵を倒して国を作り上げる。


by. 桜井章一氏

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つまり神様というものは、
戦って勝った人間の象徴なのである。

だから人間は紙になりたがるのではないだろうか。

勝利者はいろんなことが自由になるし、
権力も手に入る。

戦争や勝負にひたすら勝つことだけを求めている人間がやってきたのは分捕りという行為である。


by. 桜井章一氏

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逆に争うことのない人間が持っていた感覚は
「交換」だろう。

いろいろなものを交換したいというのが、
人間に元からあった気持ちなのではだろうか。

「競争」ならまだしも、
なぜ「戦争」という言葉を使うのか。

親や教師は戦争をしている気持ちで子どもに勉強を教えている。


by. 桜井章一氏

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■20年間無敗の雀鬼が明かす 「勝負哲学」 -三笠書房- 「実を咲かせよう」と思い直すべきなのだ。強くなるためには「心」が大事だという...

そんな利権の構図の中にいる彼ら(社会の上層の人間)が、
ことの是非を偏りなく判断できるはずなどないではないか。

本当の勝負は戦争とはかけ離れた存在である。

どんな競技にも基本姿勢があり、
それは当然麻雀にもあるということだ。

親の育て方、価値観、
環境などの影響が大である。


by. 桜井章一氏

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子どもには過保護であってはいけないし無関心なのもよくない。

柔らかく温かく育てるのが基本なのではないだろうか。

姿勢や動作から硬さをなくし、
柔らかく戻してやるためのものなのだ。

勝負において調子が悪い状態の時には、
思考も動作も硬直している。


by. 桜井章一氏

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同じように思考や動作が柔らかければ、
ミスに対する修正力を持ちやすいし傷が大きく広がらないものである。

麻雀でも、まず牌は柔らかく持たなければならない。

そのまま無駄を省いた最短距離の動作をとる。

基本動作を離れて勝てる勝負は存在しないのである。


by. 桜井章一氏

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