■きみに努力はいらない -大和書房-
幸運というのは不思議なもので、つかまれるのを実に嫌がる。自分に自信をつけるために努力するのはやめて、代わりに、心に少しだけ余裕を持つようにしたらどうだろうか
子どものころから身長が伸びていくと思うが、
これが成長を象徴するものだ。
一方、体が横に太っていくのが成功である。
この脂肪の部分を世間では、
成功とか出世とか言うのである。
成功ではなく、
成長に重きを置いて行きていくことをおすすめしたい。
by. 桜井章一氏
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そのほうが、
ストレスもなく、
より楽しい人生を送れるはずである。
幸運というのは不思議なもので、
つかまれるのを実に嫌がる。
欲を出してつかもうとすると、
すぐに逃げていってしまう。
幸運の定義は人それぞれで、
これだというものに固定するのは難しいが、
ここでは自分を幸せな気分にしてくれるものと仮に定義しておく。
by. 桜井章一氏
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では、どうして運をつかむことができないのだろうか。
おそらくそれは、
自分から必死につかみにいこうとしているからではないか。
運をつかむのは、
生きたうなぎをつかむのに似ていて、
「つかもう」と思うと指の間からするっと逃げていってしまうものなのだ。
まず、手でモノをつかもうと思った場合、
ほとんどの人が指先と掌に神経を集中させ、
目標物に手を近づけていくのではないだろうか。
by. 桜井章一氏
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だが、実はこれよりも確実にモノをつかむ方法がある。
まず、掌ではなく、
反対側の手の甲に感覚を集中してみてほしい。
実際には指先と掌でつかむのだが、
感覚的には手の甲を押し出してつかもうとすると、
動きが硬く、
雑になりがちだ。
一方、手の甲に意識を集中させて取りに行くと、
動きが柔らかくスムーズになる。
by. 桜井章一氏
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しかも、しっかりとモノを包み込むようにつかむことができ、
手を滑らせて落としてしまうこともない。
これは私が麻雀の牌を引きにいくときに実践している方法である。
麻雀を打っていく中で、
この方法で牌を引いていくと、
スムーズな動きがリズムを形成し、
それと共に集中力が増してくる。
こうした流れを自分の中に生じさせることで、
いつしか勝機が自分の下に降ってくるようになるのである。
by. 桜井章一氏
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いきなりダイレクトにつかみにいくのではなく、
柔らかくアプローチし、
包み込むように自分のものにしていくのだ。
血眼になって何が何でもつかんでやるという姿勢でいると、
運はどんどん逃げていく。
力ずくではなく、
運が自分のほうに寄ってくるような流れを作り、
自然につかめるようにするのがベストだ。
幸運というのは不思議なもので、
つかまれるのを実に嫌がる。
by. 桜井章一氏
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こちらが少し欲を出してつかもうとすると、
すぐに違和感を察知して逃げていってしまうのだ。
目の前に転がっている幸運を自分のものにしたいのであれば、
いつも自然体でいることを心掛け、
力まずにつかんでいくといい。
人は「人”物”」ではなく「人”者”」になるべき
これとは反対に、
「こんなふうに生きなさい」と諭し、
実際に自分がお手本になって生き方を見せることのできる大人は非常に少ない。
by. 桜井章一氏
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さらに言うと、私は、
努力なんてものをしてもあまり意味がないと思っている。
人間の価値は決してお金で計れるものではない。
残念なのは、
世間というのは何に対しても金銭的な価値を付けようとすることだ。
自分を「物」として高く売り込める人が、
才能のある人材として評価されがちだ。
by. 桜井章一氏
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一方、「者」として生きている人材は、
情や優しさに流されると判断され、
ビジネスにはマイナスと見なされる。
どうして腐ってしまうのかというと、
それは「物」になっているからだ。
ところが、多くの親たちが、
子どもを「物」になるような道へと導いてしまうのだ。
すでに社会に出ている人たちでも、
周囲から物扱いされないように心掛けてほしい。
by. 桜井章一氏
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会社から言われたことに盲従していないだろうか?
知人や友人としっかりと意思疎通ができているだろうか?
親や子ども、
兄弟姉妹として、
愛情のこもった関係を家族と築けているだろうか?
こうしたことができていなければ、
あなたは「者」としてではなく、
「物」として扱われてしまうことになるだろう。
自信というのは厄介で、
一度身につくと、
評価してほしくてたまらなくなる。
by. 桜井章一氏
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自分に自信をつけるために努力するのはやめて、
代わりに、心に少しだけ余裕を持つようにしたらどうだろうか。
人というのは気持ちに余裕が持てるようになると、
考え方から行動まで見違えるように変わっていく。
余裕がない人の生き方は、
どうしても目先のことばかりに精一杯になっていく。
自分のことしか考えないから、
周りに困っている人がいようが手を差し伸べることさえもできなくなってしまう。
by. 桜井章一氏
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身につけるべきものは自信ではない。
評価されることに重点を置くようになると、
今度は自分を大きく見せることに執着しはじめる。
つまり虚栄心が出てくるわけで、
いい変化とは言えない。
では、余裕をつくるにはどうすればいいのだろうか。
by. 桜井章一氏
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それは、自分にとっての満足のレベルを事前に定めておくことだ。
ここに到達すれば、
合格とし、
その先からは余分な部分であると決めておくのだ。
満足レベルを意識的に決めておかないと、
人間はどこまでいっても満たされた気分にはなれない。
ある程度のところで充足感を得られるように自分を律しておかなければ、
いつまで経っても欲望にさいなまれることになるだろう。
by. 桜井章一氏
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欲にとりつかれてしまうと、
せっかくつくった自分の中の余裕はどんどん吸い取られてしまう。
足るを知ることは大切なことなのだ。
これ(欲望)にとらわれてしまうと、
他人から搾取してでも欲しいものを手に入れようと考えるようになる。
現実を振り返ると、
今の経済というのはこうした欲望が根底にあって成り立っていると言っていいのかもしれない。
by. 桜井章一氏
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人間である限り、
無欲になるのは難しい。
だが、際限のない欲望の暴走に歯止めをかけることは十分できる。
どうしても欲しいものが1つ手に入ったら、
それでもう足りたと考えるようにしていくのだ。
心に余裕を持ちたいと思うのであれば、
自分の中に蔓延する欲望の根っこに疑問を持ち、
欲に対する姿勢を整えていくことだ。
by. 桜井章一氏
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